病から学ぶ
仏教では、人間は誰もかれもが病人であると見ています。肉体の病気に限ったことではなくて、むしろ心の病のほうが深刻だというのです。ほとんどの人が「煩悩」--貪・瞋・癡の三毒--という大病を抱えているとして、その病を克服する道を教えているのです。
実際に体のどこかが痛めば、それが苦になるのは自然なことですが、肉体の病のみが苦しみかと言えば、そうとばかりは言えません。たとえ病気であっても、心の喜び、心の安らぎを得ることはできるのです。例えば、家族や看護婦さんのお世話になると、普段にも増して人の親切が身にしみ、素直に感謝できるようになりますし、病んでみて初めて、病を持つ人への同悲同苦の心も湧き、人の苦しみを分かち合う気持ちが芽生えてきます。また、病の床に臥すことで自分の来し方を静かに見つめ、人生の意義とは何かを考える機会ともなり、健康なときには気づけなかった、いのちの尊さに思いいたることができるのです。こうしたことは、病気をしたことで味わえる大きな功徳といってもいいでしょう。
私たちの人生に起こるさまざまな苦楽は、すべてが真理の働きに気づき、真理を認識するための契機となるのです。それは、仏さまの大きなお慈悲によるお手配といってもいいでしょう。そのことを日々の生活の中に感じるとき、私たちの人生は限りなく豊かに、心楽しくなってゆくのです。
『佼成新聞』より