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カテゴリ:60歴史
わたしの好きな歴史のTV番組にNHKの「英雄たちの選択」があります。最近では、民放の歴史番組がなくなってちょっと寂しさがありますね。 先日4月22日に「英雄たちの選択」で放映されたのは「スカウトされた大王~地方出身!継体天皇の実像」ということでした。皇室の系譜もこの継体天皇からつながっていますので、その意味では大変重要な位置づけの天皇となります。
<特に知りたい3世紀から7世紀初頭まで> 特に、興味がある時代のひとつは「邪馬台国~飛鳥時代」までですが、その中でも、邪馬台国以降の4世紀中ごろの「ヤマト王権」成立までが全くの白紙状態(ブラックボックス)になっています。政治の中心も「北九州地方から。大和(奈良など畿内)地方」移っています。よほど、ダイナミックな移動または変化があったと考えないと理解が難しい時代です。 整理をしていて「ぱっと」気がついたことがありました。それは、歴史に現れた「委(わ)奴国」→「倭国の大乱」→「邪馬台国」→「倭の五王」→「ヤマト王権」→「大和朝廷」→「飛鳥時代」・・・とつながっていきますが、「倭」という国名が「倭の五王」までつながっていることです。「倭の五王」を大和朝廷に含めるか、「倭」に含めるのかによって歴史は随分違ったものになりそうです。
(出典:巨大古墳と古代天皇陵の謎)
<歴史を遡ってみますと> AD57 倭の奴国の王が後漢洪武帝に朝貢し、「印綬」を受ける(後漢書東夷伝) (出典:日本史図説東京書籍)
4世紀中ごろ、ヤマト王権(政権)成立
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<自分なりに整理してみると・・・> 〇はじめての統一的な国は「邪馬台国」か、以前は各地の豪族の存在があり、統一的な国といっても「連合的」国家。 〇3世紀後半卑弥呼後の女王「壱与」後、4世紀末の高句麗「好太王碑文」の125年が全くの空白(仁徳天皇治世か)この時代に、ヤマト王権の成立がみられ、畿内が政治の中心になっている。このヤマト王権が飛鳥時代へとつながっていく。この空白の時代に日本は未曽有の「政治的・軍事的未曽有の大変革」がみられたはず。 〇こう眺めてみると、日本の歴史は5世紀半ばまで中国の歴史書での記載による歴史である。(但し、266年~413年、中国の文献から倭の記述が消えてしまう)。5世紀初頭から6世紀初頭まで倭の五王の時代になり、中国との朝貢がみられる。 〇日本の歴史が明らかになるのは592年以降(飛鳥時代)、歴史書としては、「日本書紀」(720年)に完成が作成されてはじめて、日本に伝存する最古の正史が編纂され、現在に至っている。 〇倭の五王以降は「日本書紀」での歴史書に記載されている。特に、「継体天皇即位」からかなり具体的な歴史の記述がみられるようになった。 〇6世紀末から蘇我馬子、聖徳太子の登場がみられ、飛鳥時代へつながっていく 〇大王を中心とする「豪族による連合国家か」ら「天皇による中央集権国家」へ 〇天皇の外戚として「葛城」→「蘇我」→「藤原(中臣)」へ
<天皇の系図>
<過去のTV番組>※わたしが、録画したもの
2012年から個人的な趣味で特に、弥生時代、古墳時代の番組を録画してきました。今振り返ると、ほとんどが邪馬台国がらみのものが多く、3世紀の中ごろからの番組はわずかなものであった。
~あとがき~
「歴史」は興味がつきません。古代は、縄文時代、弥生時代、古墳時代と続いてきますが、特に、邪馬台国から飛鳥時代までの時代はまさに日本の歴史の曙のような気がします。その中でも「邪馬台国の卑弥呼」が亡くなってからの4世紀末の高句麗「好太王碑文」までの125年が全くの空白(仁徳天皇治世か)の時代になっています。この時代は先日「世界文化遺産 構成資産世界遺産」大山古墳に埋葬されている「仁徳天皇」の治世だと言われています(諸説あるかもしれませんが)。その意味では実在の天皇だと思いますが、その後の「倭の五王」につながり、武烈天皇後の継体天皇からその後の天皇の系図につながっております。分からないこともたくさんあるのですが、昨今の歴史的な発見も続いており、この空白の時代への解明につながるものを期待しています。以上
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最終更新日
2020.05.04 09:54:46
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