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カテゴリ:83映画・ドラマ
数年前に、たまたま韓流時代劇の「チャングムの誓い」というTVドラマをみました。朝鮮の歴史「李氏朝鮮の一時代」を垣間みえるのと共に、主役の「チャングム」が繰り返しの試練があるにもかかわらず、それを乗り越えていくドラマに魅せられました。また朝鮮の豪華な「宮廷料理」などもずいぶん楽しく拝見しました。それを機会に、韓流時代劇を見続けた記憶があります。TVでもBSで韓流時代劇ドラマをやっていますが、見始めるとどんどん見たくなるので、近くにある「GEO」に行き、CDを借りてきて見たものでした。 以前見たドラマではありましたが、アマゾンプライムで「風の国」を再び見始めました。韓流時代劇「朱蒙(チュモン)」のその後の時代のドラマですが、主役のソン・イルグクさんの名演技とともに感動をするドラマでもあります。2回目ですが、その後の朝鮮の韓流時代劇を見た後であるので、何か時代の流れや、日本の歴史との関連なども多少理解した中で見ているので、より深く鑑賞できている気がします。
<ドラマの背景と流れ> 扶余が高句麗を建国したといわれますが、高句麗開祖にして東明聖王と呼ばれた朱蒙。その父は多勿(タムル)の人で、母親ユファは河伯(ハンベク)の人。父が殺されて、母が扶余王に嫁ぎーの、朱蒙も扶余王の養子として迎えられました。ケルの娘、召西奴(ソソノ)とラブロマンスがあるものの、朱蒙が戦闘やら人質として囚われの身になっているうちに、ソソノはチュモンが死んだものと思い込み、別の男と結婚。生まれた男子が、沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)。ともに沸流百済、温祚百済の開祖といわれています。どうやら「百済本紀」は後世改ざんされているようで、沸流百済、温祚百済、仇台(クデ)百済の3つの歴史を1つの歴史にまとめてしまっています。それにしてもユファもソソノも超美人だったようです。 ![]() 高句麗第2代、瑠璃明王の父は朱蒙、母イェソヤは河伯(ハンベク)の人。朱蒙の妻イェソヤが急逝して、美人のソソノがチュモンの後妻に入りますが、血のつながりのない沸流、温祚は瑠璃明王に殺されることを恐れ、韓民族が住む南の地に逃れます。扶余も高句麗も百済もツングース族です。温祚百済(山彦)は馬韓との戦いに勝って、馬韓の地を侵略します。沸流百済(海彦)は移った先が、倭と呼ばれた沿岸部や島々の塩田であったために細々と生き延びることになりますが、仇台百済となってからは勢いを増し、広開土王による遠征などで高句麗に滅ぼされた温祚百済にバトンを渡されることとなります。 風の国の「ムヒュル」は実在の高句麗三代目の高句麗王になった王です。 <あらすじ・概略> 建国数十年を経た高句麗は、朱蒙(チュモン)の死後、息子ユリ王の時代に団結力を失い、他国の侵略を受け王朝滅亡の危機を迎えた。そんな時代に誕生したのが、ムヒュル=大武神王(高句麗三代目王)だった。ところが「この子は将来、父母兄、わが子を殺し、高句麗を滅ぼす不吉な子である」と神女に予言され、国の元凶である赤ん坊を殺すように促される。わが子を自分の手で殺すことができなかったユリ王は、見せ掛けの儀式を行って、平民として暮らさせるよう長男ヘミョンに託す。不遇の息子は、熱い血と動く心臓がないという意味のムヒュルと名付けられた。壁画師に預けられたムヒュルは、自分が王子の身分だという事を知らずに育てられるのだった。 高句麗建国の過程で次々と仲間を増やしていった朱蒙とは対照的に、国を守る為に自分の大切なものの犠牲を強いられ、不屈の意思を持ち続けねばならなかった「孤高の王」の物語。戦争の神として有名なムヒュルだったが、その裏には宿命、愛、葛藤の物語があった・・・。(出典:KBS京都テレビ)
<高句麗の歴代「王」一部> ※高句麗:B.C 37 ~ A.D 668年まで705年間28代の王。 1 東明聖王 (チュモン)B.C 37 ~ B.C 19(18) 姓名は高朱蒙。元々の姓は解。朱蒙は扶餘出身だが南下し、B.C37年に卒本地域句麗国に国を建てて高句麗とし、自分の姓を高とした。 2 榴璃明王(ユリ) B.C 19 ~ A.D 18(37) 姓名は解榴璃。東明聖王の長男。※卒本地域有力家門出身の召西奴は東明聖王の2番目の婦人になる前にすでに二人の息子(沸流と温祚)がいて、扶餘から榴璃が逃げて来て太子になったあと南下し、温祚は百済を建国した。※黃鳥歌。 3 大武神王(ムヒュル) 18~44(26) 姓名は解無恤。榴璃明王の3男。 4 閔中王 44~48(4) 姓名は解色朱。大武神王の弟。
<朝鮮「高句麗」歴史年表> 前107年 - 漢が玄菟郡設置。文献史料上の固有名詞高句麗の初出 (※出典wikipedia) ~あとがき~ 日本の歴史や歴史ドラマは魅力的ですが、隣国の中国や朝鮮の歴史は日本との関りが時代の流れに沿っていろいろあり興味のあるものです。高句麗は700年以上も続いた国ですが、飛鳥時代など日本とのかかわりあいも深い国のひとつです。百済同様、高句麗からも高僧がみえたり、高松塚古墳、キトラ古墳の玄室の絵画など規模の大きな高句麗の玄室の影響がみられるなど、その時代も含めた交流がみられ、興味がつきないものですね。以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.20 18:02:58
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