父ちゃんのポーが聞こえる
感動の名作「父ちゃんのポーが聞こえる」は現代の医学では治療の方法すら発見されていない筋肉が萎縮してしまうハンチントン舞踊病と戦いながらベットの中で綴った松本則子という一少女の詩集を1971年に東宝が映画化しました。物語は蒸気機関車の運転手・杉本隆(小林桂樹)が二度目の妻・初江(司葉子)を迎えようとしており長女・恵子(森るみ子)次女・則子(吉沢京子)も父の選んだ人だからと心よく承知して親子四人の平和な暮しが始まった。だが則子はちょっとした弾みでよく転び生傷が絶えないその事を心配した隆は則子を連れて金沢の鉄道病院を訪れ偏平足が原因と聞かされ安心して帰ってきた。しかし学校での則子は他の生徒と一緒に勉強が出来ず市民病院の中にある肢体不自由児が治療しながら教育を受ける「こまどり学園」に移された。学園に移ってから何かと沈みがちの則子をやさしく指導する元橋先生(吉行和子)の努力で彼女は日増しに元の明るさを取り戻していった。そんな則子を隆はたびたび訪れ励ましたが近い将来蒸気機関車が姿を消し気動車に変る為しばらくの間同僚の丸山(藤岡琢也)と名古屋の鉄道学園に学ばなければならなかった。父が名古屋に行っている間、吉川道夫(佐々木勝彦)が絵の指導に来る様になり、則子は次第に絵を描く楽しさを覚えるようになった。その頃、則子のカルテにはハンチントン舞踏病と記入され則子のような重症患者のための治療設備がない為に人里離れた越山療養所に移る事になった。淋しい療養所の個室で則子は家に帰りたいと泣き叫び返す言葉のない隆はやっとの思いで「これから週二回、療養所の下を通るたびに必ず汽笛で合図を送る、それが父ちゃんの挨拶だと思っておくれ」と説得するのだった。則子は不自由な左手で詩を書き綴った。ポーッ・ポッ・ポーッ!汽笛がこだまする空に小さく消えてゆく朝五時五十分ちょうど父だ父のひいている列車が療養所の下を走っているのだポーッ胸の奥でひそかに、則子も声のない汽笛をあげる。しかし運命の神は則子に微笑む事はなかった・・・この映画に出演した吉沢京子は映画「燃えろ!太陽」で酒井和歌子の妹役でデビューし、その後「柔道一直線」「さぼてんとマシュマロ」に出演し岡崎友紀と人気を二分し国民的清純派アイドルとして活躍。本作で大勢の人たちに感動を与え文部大臣新人賞エランドール賞新人賞を受賞しプロマイド俳優部門で売上1位になりました。また私が小学生の頃、日本テレビ日曜午後4時ぐらいに放送されていた「日曜映画劇場」にて本作が上映され感動のあまり涙した最初の映画として記憶に残っています。上映当時に日本アカデミー賞が存在していれば最優秀作品賞を受賞していたと思います。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【21%OFF】[CD] 二葉百合子/キングアーカイブシリーズ 15 岸壁の母/父ちゃんのポーが聞こえる