カテゴリ:寺社彫刻
山の子に吉祥果啄ばみ母烏
吉祥果は鬼子母神が手に持つ果実ですか普通は石榴とされています。石榴の実は晩秋の季語ですか、お正月なので吉祥果としました。 ここは伊勢𥔎、本妙寺の鬼子母神。建造年は明和9年(1772)で群馬県内では鬼子母神堂として建造年代を江戸まで遡れる唯一の建物です。 棟札が残されていて、彫物師として「深澤軍八藤原則武(勢多郡田面村)中嶌貞八勅是(山田郡天沼村)と記されています。軍八は延享3年(1747)に石原吟八郎の門下生として江南諏訪神社に前原藤次郎と共に参加してます。田面(たなも)は今の前橋市粕川と桐生市新里町の間の地名ですが深澤性は桐生市黒保根町と大間々町の上神梅との境にある深沢川に由来しているところから元々は勢多郡黒保根村の下田沢の出身と考えられ、妻沼聖天堂の彫刻に参加した後江南諏訪神社に参加、そのあと独立して田面に出たものと考えられます。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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