カテゴリ:6年3組
喘息というのは、昼はそれほどのこともなく、夜、寝る段になって咳がとまらなくなる。
そのうち、胸とかお腹の筋肉がくたびれて痛くなり、咳のたびに痛さが怖く、咳と痛さと怖さで夜じゅうさいなまれ、ようやく明け方、肉体がくたびれ果てて就寝に至る。 当然、朝は、起きれる状況にはなく、学校はお休みせざるを得ない。 そんな嫌な記憶の気管支炎だが、幸い、昨夜はそれほどのこともなく、多少熱っぽい程度。 土曜午前の家事労働も無事に済ませ、午後から、経堂図書館お話の部屋で開かれた、「ほほ」の朗読会vol.2に出かけることが出来た。 家から経堂駅まで30分ほどかけて、ゆっくりと歩き、図書館裏口から忍び込む? 小学校同級生の甲斐さんが朗読に参加。 前回もお誘いいただいたが、あいにくその日は午前中のプログラムだったので、お伺いできず、今回がはじめて。 朗読の時間は45分ぐらい。 ぷろぐらむは、 村上春樹「夜のくもざる」から短編3部 ・ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告 ・コロッケ ・夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について 宮澤賢治「土神ときつね」 「長田弘詩集」より ふろふきの食べかた 以上3題、お三方の朗読 土曜の午後 自分にとり仕事、家事、すべてから解放される黄金のひととき そこに朗読とは、これは贅沢ですね 読書というと、最近は、いつも前のめりの自分のペースに辟易して集中できない。 その点朗読は、読み手のペースにまかせ、たゆたうことで、心の凝りが時間の中に溶け出していく。 安心して聞くことに集中できる読み手たることは、そう簡単ではない。 文章を音楽を奏でるごとく、あるときはこまやかに、あるときは強く、ときに速く、ときにゆったりと川の流れのように 字面を追うことは出来ても、聞き手に違和感を与えることなく読むのは難しい わずかの違和感でも聞き手たちの集中を殺ぐのは、もったいなく、しのびない そこにある本を、ただ手にとって読むのではなく、 題材を選び、読み込み、さらに声に出して読み、表の声色、抑揚はもちろん、口のあけ方、姿勢、間合い、ニュアンス.... 読み手同士で読み合わせをし、そして、朗読会に臨む 読み手、聞き手とも、始まりは、期待と不安が混じる 部屋の照明が落ち、サティが流れることで、人々の目と耳を、固い緊張から適度に和らげたところで、お話しが始ります。 村上春樹の作品が朗読されるところを、僕は聞いたことがなかった。 「コロッケ」 「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」 は、読んだ記憶があるけれど、一番最初の 「ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告」は記憶にない。 昔、デビュー前の村上春樹の千駄ケ谷の店に通っていたことがあり、国分寺の店のお話しが、千駄ケ谷の思い出にまざり、お話しと記憶が会話し始めた。 *** 「そういえば、甲斐さんは、国語で本を読むときの意気込みが違ったね」 と先日、朗読会の話しを聞いて、小学校同じく同級の留さんに言ったのは平石君。 「まっちゃんは、どっちかというと淡々と読んでた印象」 とは留さん まっちゃんも、この間の「徳談会」で宮澤賢治を読んでくれたが 甲斐さん、まっちゃん おふたかたのみならず、 小学校のクラス、皆さん、とても本の朗読が上手 今思うと、谷岡君その他と授業中遊びといたづらばかりしていたのは、勿体ないことをしたわけだ。 自分で声に出して読むのは苦手だが、また機会があれば是非。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 4, 2008 07:19:02 PM
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