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カテゴリ:経済
「禅の友」平成18年1月号(曹洞宗宗務庁刊)に「生きている時間」(駒沢女子大学教授・
安藤嘉則著)という小論が掲載されています。 謹んで参玄の人に申す。光陰虚しく渡ること莫れ。(「参同契」) これで始まっているのですが、末節を下記に引用します。 禅門では単なる物理的な時間ではなく、真に生きる時間を問題とします。 「生也全機現、死也全機現」と言いますが、生きるときはただ全力で生きるしかありませんし、死ぬときはひたすら死ぬだけです。 人は土に帰れば死に徹し切れましょうが、今の生の時間を本当に生切れているのでしょうか? 実は過去の自分や過去のトラウマにがんじがらめになって、今を生きていない人が多いのではないでしょうか。 道元禅師『正法眼蔵』「現成公案」で、薪は燃えて灰となるけれども、薪を先、灰を後と考えるな、同じく生を先、死を後と思うなとおっしゃっています。 一見不合理のように思えますが、「生きている」というのは今のこの瞬間でしかありません。 今は今で、過去は過去でしかないのです。 百年生きようが五十年生きようが、生きているのは只今の時節だけです。 この只今をよそにして他のどこに生きようとするのでしょうか。 この只今の自分を本当に生きていくこと、これが坐禅修行の課題であると言えましょう。 人もし生きること 百年ならんとも おこたりにふけり はげみ少なければ かたき精進に ふるいたつものの 一日生くるにも およばざるなり 『法句経』(114) 引用終了 ☆ 昨日(1月10日)は、今年初めてのラジオ出演でした。 メインのA氏とは「相棒」を組んで、もう4年になります。 毎週土曜日、午前10時から一時間、勝手言い放題。 過激なことを電波で流しても、「邪魔」もされないで、「処理」されないでいるのは、FM放送というミニ放送であり、「誰もまともには聞いていないだろう」と高をくくられていると勝手に判断しています。 そんな訳で、私たち「相棒」は、放送中は気を使っているつもりなのですが、ついつい、本音を出して「暴れ」まくっております。 昨日も、放送が終了してから、その場で「爆発」しました。 「いつでも、死んでやる」と言う気概が重要で、これがあれば、核など何の威力も無くなる。 日本人全員が、この気概を持っていれば、核を投下する意味が無くなってしまう。 日本人が一人もいない日本列島など占領・支配する意味が無くなる。 「核」という「物質」に対抗するには、そのような気概・心・精神を持つしかない。 玄米食で病気を治し、長生きしたところで、それだけでは何の意味もない。 「いのち根性が汚い」だけだ。 「奴隷」が玄米食で健康になり、長生きして喜ぶのは「ご主人様」だけだ。 少なくともマクロビオティックの創始者である桜沢如一先生は「ご主人様」をしっかと見据え、厳しく糾弾していた。 その末裔である人たちは、その本質的な問題には、決して触れようとしない。 「マクロビオティック」普及・商いの故に。 ☆ 何時になったら「いつでも、死んでやる」と言えるでしょうか。 「坐禅修行の課題であると言えましょう」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.11 18:35:36
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