西東京市ひばりヶ丘にある東本願寺ひばりヶ丘別院へ、中学校恩師の墓参りに行って来ました。
恩師は1987年10月行年68才没、昭和20年3月24日没行年21才と刻まれていて、東京大空襲で伴侶を亡くされた悲しい過去があり、奥様は後妻だったのです。奥様には戒名が無く実名だけで、98才没と墓誌に刻まれておりましたが、特別に違和感はありませんでした。
家紋は有名な武田菱ですので、武田家の末裔だったのでしょうが、今は継ぐ男子がいなかったので、恩師の家系は閉じることになったのですが、他家に嫁いだ娘さんが墓の維持をされている様です。
中学校の恩師は、中学2~3年のクラス担当教師で、軍人教師として怖い存在で知られていました。当時、学校は荒れていた訳ではありませんが、貧困家庭もあり問題児も多くいたのですが、他の教師が敬遠する生徒をクラスに取り組む教師でした。それでも、軍人らしく振舞うことも無く、日教組とも一線を画して、問題児生徒を含めて無事に卒業させることに意を注ぐ立派な教育者でした。
私が内申書劣悪の所為で高校受験に失敗した後、捲土重来の大学受験では受験成績点数100%での評価、東大合格には「快哉」を叫んで祝福してくれました。
その10年後には、結婚式の仲人にもなって頂いたのですが、会社生活が忙しくなり、転居や海外駐在が続きすっかり疎遠となってしまった不祥の教え子でした。
武田家の家訓なのか、「情けは味方、仇は敵!」を実践した人物で、卒業後は女生徒だった婦人達への人生相談役ともなっていた稀有な教師でした!