反戦川柳人 鶴彬の獄死(感想)
鶴 彬=つる あきら は1909年石川県生まれの川柳作家で社会運動家です。 ”反戦川柳人 鶴彬の獄死”(2023年3月 集英社刊 佐高 信著)を読みました。 昭和初期に軍国主義に走る政府を真正面から批判し、反戦を訴え続け29歳で獄死した川柳作家の、知る人ぞ知る 鶴 彬を紹介しています。 川柳は俳諧連歌から派生した近代文芸です。 俳句と同じ五七五の音数律を持ちますが、俳句にみられる季語や切れの約束がありません。 俳句は発句から独立したのに対し、川柳は連歌の付け句の規則を、逆に下の句に対して行う前句付けが独立したものです。 江戸中期の俳諧の前句附点者だった柄井川柳が選んだ句の中から、呉陵軒可有が選出した”誹風柳多留”が刊行されて人気を博しました。 これ以降「川柳」という名前が定着しました。 このころは、「うがち・おかしみ・かるみ」という3要素を主な特徴としました。 人情の機微や心の動きを書いた句が多かったです。 現代では風刺や批判をユーモラスに表現するものとして親しまれています。 字余りや句跨りの破調、自由律や駄洒落も見られるなど、規律に囚われない言葉遊びの要素も少なくありません。 その川柳を通じて、昭和初期に軍国主義に走る政府を真正面から批判し反戦を訴え続けた作家が 鶴 彬です。 官憲に捕らえられ、獄中でなお抵抗を続けて憤死した“川柳界の小林多喜二”と称されます。 佐高 信さんは1945年山形県酒田市生まれ、山形県立酒田東高等学校を卒業し、1967年に慶應義塾大学法学部を卒業しました。 卒業後、郷里の山形県で庄内農高の社会科教師となりました。 ここで3年間、教科書はいっさい使わずガリ版の手製テキストで通したため“赤い教師”の非難を浴びたといいます。 その後、酒田工高に転じて結婚もしましたが、同じく“赤軍派教師”のレッテルを貼られました。 県教組の反主流派でがんばるうちに、同僚教師と同志的恋愛に陥り前妻と離婚し、1972年に再度上京したそうです。 その後、総会屋系経済誌”現代ビジョン”編集部員を経て編集長となり、辞めてから評論家になりました。 現在、東北公益文科大学客員教授を務めています。 「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表で、先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人を務めています。 鶴 彬を後世に残そうとしたのは昭和時代から平成時代の川柳作家一叩人、こと命尾小太郎さんで、その執念に気付いたのがンフィクション作家の澤地久枝さんだったといいます。 澤地さんは”鶴彬全集”を完成させました。 そして、書籍を出版してまとまった形で鶴 彬を世に問うたのは小説家で川柳評論家の坂本幸四郎さんでした。 鶴 彬は1909年1月1日石川県河北郡高松町、現かほく市に竹細工職人の喜多松太郎とスズの次男として生まれ、本名を喜多一二=きたかつじといいました。 生年月日は戸籍上の日付で、実際には前年12月といわれています。 翌年に叔父の喜多弁太郎の養子となり、1915年に尋常小学校に入学し、1923年に高等小学校を卒業しました。 9才の時に父親が死に、母親が再婚して兄弟姉妹6人は離別しました。 小学校在籍中から、”北国新聞”の子ども欄に短歌・俳句を投稿し、1924年にはペンネーム喜多一児で「北国歌壇に作品を発表しました。 1925年から川柳誌”影像” にデビューしたのを契機に、多様な川柳誌に作品を寄せるようになりました。 1927年には井上剣花坊の家に寄ったり、初の川柳の評論を”川柳人”に発表するなど、社会意識に芽生え始めました。 1930年1月に金沢第7連隊に入営しましたが、3月1日の旧陸軍記念日に連隊長の訓辞に疑問を抱いて質問した事件により重営倉に入れられました。 1931年に金沢第7連隊に”無産青年”を勧めたりした赤化事件により軍法会議にかけられ、刑期1年8ヶ月の収監生活を余儀なくされました。 1933年に4年間の在営を終えて除隊後、積極的に執筆活動を行いました。 10月頃、井上信子推薦で東京深川木材通信社に就職しました。 次第に反戦意識を高めていた鶴は思想犯とみなされ、1937年12月3日に治安維持法違反の嫌疑で特別高等警察に検挙され、東京都中野区野方署に留置されました。 しかし、度重なる拷問や留置場での赤痢によって、1938年9月14日に29歳で世を去りました。 1972年9月に郷里高松町に句碑が建立されました。 佐高信さんは鶴を、川柳界の小林多喜二と紹介しています。 ”鶴彬句集””鶴彬全集”(全1巻 たいまつ社)があり、1998年に”鶴彬全集”(増補改訂版)が復刻出版されました。 2008年4月に今年没後70年来年生誕100年を迎えるにあたって、記念事業をすすめる鶴彬生誕100年祭実行委員会と映画「鶴彬」を成功させる会が発足会を開きました。 そして2009年に生誕100年を迎え、その波乱に満ちた生涯を「ハチ公物語」の名匠・神山征二郎さんが、「鶴彬-こころの軌跡-」というタイトルで映画化しました。はじめに 同い年の明暗/1 鶴彬を後世に遺そうとした三人/2 師父、井上剣花坊/3 兄事した田中五呂八との別れ/4 鶴彬の二十九年/5 石川啄木と鶴彬/補章 短歌と俳句の戦争責任 [http://lifestyle.blogmura.com/comfortlife/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 心地よい暮らし] 反戦川柳人 鶴彬の獄死 (集英社新書) [ 佐高 信 ]小説鶴彬 暁を抱いて [ 吉橋通夫 ]