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カテゴリ:政治的
 辞任記者会見は晴れやかな門出の如く爽やかさを感じるものだった。一言、一言、噛締める語りは、口下手な東北人と自ら言う小沢一郎ではなかった。何時でも言葉足らずで、時には高慢でさえあリ、記者を睨み付けるような、小沢記者会見からは考えられないものだった。断腸の思いとか、痛恨の極みとか、無念やるかたないとか、悲痛な叫び的な言葉はなく、批判を浴び、追い詰められ退く者の記者会見ではなかった。極端な表現が許されるなら、小沢一郎の政治家としての長い歴史の中で最高の記者会見だった。

 
 民主党の有力者は、政権交代の為に、最も理想的な時期に辞任すると思うと、遠まわしな辞任要求を繰り返していた。そんな言葉に屈したわけではなく、自らの判断で腹を切ったと、主張したい小沢会見である。辞任しか道は残っていない。だから、それを、正面から受け止め、総選挙を有利に運ぶための、最良の時期を模索した。


 そのままの状態で、13日の党首会談に臨んだら、引くに引けなくなり、民主党は分裂し、自らの政治信念である政権交代への道を自ら壊すことになる。そんな事は出来ないから、辞任発表となった。小沢流最良の判断の最良の辞任時である。記者会見は無念の表明や謝罪的な言葉の連なる敗者のものではかった。和やかな表情で勝つ為の策だと主張していた。


 終始爽やかであった口下手な東北人小沢一郎がむきになった質問は、政治資金の問題と議員辞職の意思を問われた時だった。「何故、私が辞める必要があるのか、政治資金の問題は一点のくもりもない」と語気を荒げ、何時もの小沢会見のようになりかけたが、その時以外は小沢一郎らしからぬ会見で、最後は、丁寧に「どうも」と締めくくった。


 自民党の幹事長を経験し、総理総裁何時でもなれると言い、神輿に乗るのは誰でも良いとか、神輿は軽い方が担ぎやすいとか、総理総裁候補を面接したといわれる伝説の政治家は、昭和の政治手法を平成に持ち込んで、未だにその深謀遠慮のうちに政治を動かしているような思いさえ抱かせる。


 秘書の逮捕から辞任発表の昨日まで、小沢一郎の頭の中の政治的煩悶の流れを見てみたものだ。記者会見では、政治的判断での辞任ではなく、政権交代へ向けての民主党の結束の為の辞任を強調していた。検察に屈したわけでも、世論に屈したわけでもなく、政権交代の為のマイナス材料を取り除いただけと言っていた。はっきりと、小沢辞任を評価したのは、平成の黄門様渡部恒三民主党最高顧問であった。小沢さんと特別の関係がある人だから当然だが、老兵いまだ死なずと思わせる発言である。


 初当選は1969年と言うから、政治家の歴史は長い。27歳での初当選だった。そして田中角栄の秘蔵っ子といわれ、自民党最大派閥の中枢を歩いた。竹下派の七奉行と呼ばれた。7奉行の1人が黄門様であった。ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦の構図が壊れ、世界が揺れ動き始めた1989年に自民党史上最年少の47歳の幹事長となった。1993年、「私はやるんです」と政治改革を掲げた宮沢内閣総理大臣への社会党を中心にした野党の不信任案に賛成して自民党を飛び出した。

 政権交代は実現した。しかし、長くは続かなかった。下野した自民党の形振り構わずの政権奪取攻勢で、宿敵社会党委員長を担いだ。寺社政権誕生である。その後は、新党をつくり、解散合併を繰り返し、「壊し屋」と呼ばれたが、同時に剛腕の称号もついた。2003年に官直人と手を組んで民主党入りし3年後に代表になった。

 と、小沢一郎の経歴を思い浮かべていると、失礼な言い方だが、小沢さんが政界から去ってしまったような、更に怒られるのを承知で言う、死後の回想のような錯覚にもなる。しかし、小沢一郎は健在で政権交代のために身を引くと強調している。


 西松スキャンダルで公設秘書が逮捕起訴されても、小沢一郎は強気一辺倒だった。検察への対決姿勢は兎も角、国民には小沢説明は納得できなかった。世論は小沢辞任へと向かい、鬼の目にも涙と揶揄された、涙の代表続投を宣言は記憶に新しい。「自分自身の身の朽ちるまで、その使命を達成することをお約束を申し上げる」はゴールデン・ウィーク中の演説だ。


 大方の見方は公設秘書の起訴の後は、辞任であった。そのまま、代表で総選挙を戦い仮に勝利しても、代表の座を降りるだろうといわれ、また、選挙に最も有利な条件となりえる時に代表辞任となるだろうと予想する人が多かった。さて、その時期は、間違いなかったのか、これからが楽しみである。





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最終更新日  2009.05.12 08:02:47
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