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カテゴリ:ひろし少年の昭和ノスタルジー
ひろし君の家は和菓子製造業だが、大福・団子・赤飯などの比較的安く日常的に食べられる餅菓子などが多い。これらの生菓子はその日に売ることを目的として早朝に作られるため、朝生(あさなま)と呼ばれていた。もちろんその他にも、かのこ、きみしぐれ、くず桜、どら焼き、最中、焼き菓子なども作るようになったが、何と言っても創業以来作り続けていて味良く廉価な朝生が売上の大半を占めている。 これらの生菓子は全て父:紘一郎と母:みつ子の二人が、寝る時間を削り早朝からこつこつと作っていたのである。ひろし君はまだ小学生なので、ちょっとした雑用と配達ぐらいしかできない。また中卒で住み込み丁稚奉公していた村山さとし君は、わずか2千円の月給で2年間働いていたが、とうとう先月辞めてしまった。 確か従業員寮があり、月給5千円の電気部品工場へ転職したのだと言う。そりゃあそうだ、ひろし君の家にいたのでは、雀の涙の月給で口うるさい紘一郎に長時間労働を強いられ、そのうえ寝る場所もひろし君や隆二と同部屋なのだ。さらに零細企業で将来が全く見えてこないのだから、転職して当たり前である。逆によく2年間も辛抱していたものだと感心してしまう。 さてところが、このさとし君が辞めた反動は、全てひろし君に跳ね返ってきた。だが遊び盛りのひろし君はそれが嫌で、いつもこっそり家の外に出て家業から逃げ回っていた。ただ忙しくなると、紘一郎に命じられた妹:知子や弟:隆二がひろし君を探して「お父さんが怒っているよ」と伝令係を務めるのである。こんな状況が何度も続き、頼りにならないひろし君を諦めた紘一郎は、和菓子作りの職人を雇うことを決心する。 まもなく知り合いから紹介されてゴリラ顔の職人:佐藤が働きにきた。だが職人のくせにろくに仕事が出来ない。そのくせ月給1万円で5時になるとすぐに仕事をやめてしまう。さらにTVのチャンネルを勝手に回して、ひろし君の嫌いなボクシングを延々と観ているのだ。そして子供たちとは一切喋らない。これにはひろし君もイライラしてしまった。だが一週間も経たないうちに、このクソ面白くない職人は紘一郎と喧嘩して辞めてしまった。 それから1か月後に、今度は職人協会の斡旋で、宮原という職人がやってきた。宮原は前回の佐藤のようにガサツではなく、明るいハンサムボーイで子供たちともよく話をした。今度は長続きするかと思ったのだが、なんと一か月も経たないうちに、自転車に乗ったまま帰らなかったのである。なんと給料代わりに自転車を貰うという置手紙を残して辞めてしまったのであった。 結局のところ、仕事熱心で実直さだけが取り柄の紘一郎には、人を上手に使いこなすことが出来なかったのである。そしてまた、そのつけは全てひろし君に向かって全力で襲いかかってくるのであった…。 作:五林寺隆 下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.02 11:09:06
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