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カテゴリ:日々の旅
12月4日(土):雨風強し、台風通過との事。
昨日の流れで、岡山駅の地下改札で編集学校関係の方々と落ち合う。またまた、初対面の方々4人ほど。みんなで、岡山名物(?)、デミグラスソース・カツ丼というものを食べた。岡山出身のわたしも知らなかった。その後、懐かしい町並みを雨の中、相合傘で三丁目劇場へ向かった。これは岡山市が吉本興業を誘致した劇場だが、もうすぐ、吉本は撤退するらしい。 12時頃に受付けを済ませ、今回のイベントのカタログを買う。それは、研究社の英和辞典のようないでたちで、中には極端ほどに小さいタイプがぎっしり詰まっていた。索引なども充実していて、まさに『能勢伊勢雄辞典』だった。能勢氏の1968年から2004年までの仕事が網羅されているのだ。そのキーワードの一つが『遊学』で「どんなジャンルにもとらわれず、どんなジャンルにもかかわっている」ということだ。その初期の段階で、雑誌『遊』の松岡正剛との出会いがあったことが、これまでの活動を支えてきたという。親切にもそのカタログにはルーペまで付いていた。 開演前の隙間時間で、このHPで知り合った方々にもお初お目見えをしたり、遠方の恩師にプレゼントをしたり…。 13時からいよいよ松岡正剛の基調講演、そして松岡X能勢のトークライブと続いた。基調に流れるのはやはり『遊学』の精神だ。「出遊」すること、みちの果てまで遊びに行くこと。それを30数年続けてきたのが、この両雄だった。能勢は1974年に日本で初のライブ設備付きの喫茶店『ペパーランド』をスタートさせ、今日ではライブハウスオンリーのスタイルに移っているが、その30年間に訪れたミュージシャンは有名所を含めて数知れない。いつも音楽界の先端・前衛を走ってきたという。 その初期に松岡に出会い『岡山遊会』なる自由なサロン的ワークショップを月1回のペースで続けてきている。継続こそ力である。しかし、実は、松岡正剛が岡山を訪れたことは今回が初めてだという。一方の松岡は東京の地で、『遊』の工作舎に始まり編集工学研究所を打ち立て、編集学校をはじめさまざまな活動を展開しているのは周知の事実だ。30年目にして初ライブというのもイカシていた。 トーク後の会場質問も白熱し、予定の16時を回って終了した。それからわたしは、岡山市が企画してくれた慰労会にも出席し、両雄からサインを並べていただいた、2冊分。それが終わって、3次会は近くの料亭で編集学校関係者を中心に20数人が宴を持った。もちろん、そこまで二人の両雄は付き合ってくれるのだ。松岡正剛に至っては、9月に癌で胃の3/4を切除している身体だというのに…。わたしもそこで、さらに増える初対面者たちとの交流を楽しんだ。 松岡正剛氏と雑誌『遊』で出会って30年、生で話をさせていただいたのは初めてのことだった。それを繋いでくださったのは、4年前、能勢伊勢雄氏だった。そこから編集学校に関わって、今日に至っている。なんとも不思議だが、能勢氏のペパーランドがOPENした年にわたしは岡山を脱出している。そのペパーランドと同じ町内にわたしの実家がある。 どちらがわたしをを引き寄せたか、わかりはしない。不思議なのが人の縁だ。こんなことも、「遊学」には付き物なんだろうか? いずれ続いていく縁なのだからと、その後わたしは早々に実家にたどり着いた。頭の中ではぐるぐるといろんな縁が舞っていた。それが限界だったのだろう。布団にもぐりこんだとたんに、ぐっすりと寝入った。 ・・・以上今回の旅のメルクマークの一日、続きは明日です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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