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「考える人・村上春樹ロングインタビュー:新潮社」での村上さんの発言なのですが、 「(夏目漱石の『こころ』は)どうしても好きになれない」(p62) 「(ノルウェイの森を)書き終えたとき、リアリズムの話はもう十分だと思いました。もうこういうのは二度と書きたくないと。」(p22) 「あそこ(ノルウェイの森)に出てくる登場人物たちがその後にどうなったかとか、そういう興味が不思議に湧いてこない。」(p22) うーむ…なんだか妙な気配がする。 村上さんはどうして『こころ』と『ノルウェイの森』に好意的でないのかについて、おもしろいことを思いついた。まあ、同じようなことを言ってる人もいるのだろうけど… 『ノルウェイの森』は『こころ』のつづきである。 『こころ』というのは読みようによっては、「<K>が自殺した時点で<先生>もまた自殺を考えたのだが、そうすると<先生の奥さん>がひとり残されてしまう。そこに<私>が登場する。<先生>は<先生の奥さん>を<私>に任せることができそうだと思えてから自殺する」 『ノルウェイの森』において、<先生>を<キズキ>、<先生の奥さん>を<直子>、<私>を<僕>と置き換えてみよう。 <キズキ>は<僕>と出会う前から自殺を考えていたのだが、そうすると<直子>がひとり残されてしまう。そこに<僕>が登場する。<キズキ>は<直子>を<僕>に任せることができそうだと思えてから自殺する。 さて、つづきである。 <キズキ>が自殺した時点で<直子>もまた自殺を考えたのだが、そうすると<僕>がひとり残されてしまう。そこに<緑>が登場する。<直子>は<僕>を<緑>に任せることができそうだと思えてから自殺する。 もしかしたら、『こころ』(のツヅキ)では、<先生>が自殺した時点で<先生の奥さん>もまた自殺を考えたのだが、そうすると<私>がひとり残されてしまう。なので、<先生の奥さん>は<緑>にあたる女の登場するのを待っているのかもしれない… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年07月17日 08時42分16秒
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