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カテゴリ:日本と古代ヘブライの関係
●序幕「旅立ちの朝日」
●第1幕「みちひらきの猿田彦神社」 ●第2幕「封印された伊雑宮」 ●第3幕「もうひとつの本伊勢」 ●第4幕「心御柱に秘められた謎」 ●第5幕「三大ピラミッドとオリオン座の三ツ星」 ●第6幕「絶対三神と神道奥義・鏡像反転」 ●第7幕「生命の樹と真の伊勢神宮」 ●第8幕「伊雑宮・御田植祭りの謎(序)」 ●第9幕「伊雑宮・御田植祭りの謎(前編)」 ●第10幕「伊雑宮・御田植祭りの謎(中編)」 ●第11幕「伊雑宮・御田植祭りの謎(後編)」 伊雑宮の「御田植祭り」のなかの、「竹取神事」は、竹をバラバラにすることから、「死」を意味し、同時に、その竹片にはご利益があるとされることから、「蘇り」を暗示し、イエス・キリストの死と復活を示していることを前回ご紹介しました。 そのなかで、派生的に「竹取」という言葉から、「竹取物語」との関連も浮かんできますし、けっこう深い意味がありそうな気がしてきました。 「竹取物語」については、また、機会をあらためて取り上げてみたいとおもいます。(いつになるかは知りませんが…) 今回は、本題からは外れてしまいますが(と、いうか、すでに外れています…)、「竹取」という言葉で、数回にわたり、お遊び的にみてみます。 かなり妄想が入っているということで、あまり本気にしないでください。。。 ★★★ 「竹」とは、以前にも見てきたように、竹の葉が、三叉に分かれていることから、三本柱からなる、「生命の樹」の象徴にもなっていると、飛鳥昭雄氏が指摘しています。 竹冠とは、そういう意味では、とても意味深い漢字だと思いますし、竹冠の漢字は、すべてではないにしても、生命の樹との関わりもありそうです。 たとえば、「箱」という漢字もそうです。 また、最近「笙」という楽器も、竹からできているということや、17本からの竹からなるとか、いろいろ見ていくととても興味深い楽器だなあと感じることがありました。 そして、「竹」とは、字の通りに、三叉の葉が、ふたつあることになり、これは、合わせ鏡を象徴しているとも見れます。 門松は「三本柱」が、玄関の両脇にひとつずつ置かれていますし、これも生命の樹の象徴です。 生命の樹とは、イエス・キリストの十字架が、まさにその象徴でもあり、そして、もっといえば、イエス・キリストその人が、生命の樹の象徴だということもできます。 生命の樹の象徴図形は、10個のセフィロトと22本のパスからなりますが、ダアトといわれる隠されたセフィロトがひとつあることから、それらの合計は、10+22+1=33となり、これは、イエス・キリストが十字架で死にそして、3日後に復活した年齢となっています。 ですから、非常に大雑把ではありますが、「竹」=「生命の樹」=「十字架」=「イエス・キリスト」という象徴的な意味が込められているとみることができます。 竹とは生命力の象徴としても見られますし、竹を割ると空洞です。 この空洞から、かぐや姫が出てきたことも、象徴的であり、この空洞は、道となり、異界と現界をつなぐ役割をするとも見ることができますし、神と人をつなぐ空洞だと見ることもできるのかもしれません。 いずれにしても、「竹」とは、荒っぽい展開ですが、イエス・キリストの象徴であるというのが、まずはじめに、見ておきたいことです。 次回、「取」の漢字について、見てみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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