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ロシア・北オセチア共和国での中等学校占拠事件が悲惨な結末を迎えた。予想されていたこととはいえ、実際にこのような結果が出てみると、そこから生まれる絶望感は計り知れないものになる。それは、この事件をどう受け止めるかという感情的な問題で、その受け止め方が、今後建設的な方向へ向かうような受け止め方になる希望が持てないという意味での絶望だ。この事件は、単純に「テロリスト」と呼ばれる冷酷な人間がひどいことをやった、というような感情的な受け止め方にとどまるべきではないと思う。
今週の「マル激」では、ゲストの大塚英志さんが「自らに返ってこない論理」に砂をかむような思いを感じると発言している。その例として二つのものをあげている。 一つは、全体主義国家としての朝鮮民主主義人民共和国の姿を嘲笑する日本人の姿だ。国家の意志が個人を支配し、国家の思うままに、その命じるままに行動する人間の愚かさを報道するニュースが日本には溢れている。しかし、一方では大塚さんが挙げていた例として、どこかの学校で生徒に赤フンをはかせて海に飛び込ませるという教育というものを語っていた。これは、すべての子供が赤フンを喜んではいて海に飛び込むのではないと思う。 ここでは、子供の意志にかかわらず、大人がいいと思ったことを子供に強制して、子供がそれに従うことこそが「いい教育」だというような感覚がそこにあるように感じる。全体主義国家の教育とどこが違うのだろうか。全体主義国家を笑う日本人が、自らの同じような行為に対してはそれをギャグに出来ないでいるのだ。「自らに返ってこない論理」だ。 もう一つの例は、石原東京都知事の言葉ということで、中国のナショナリズムの高まりを評した言葉らしい。中国は、サッカーの大会で非常に強い反日感情をむき出しにしていたが、それを評して石原都知事は、「全体主義国家というのは、仮想敵を設定して、それによって国民を統一しようとしている」というようなまことに正しい評価を下していると大塚さんは語っていた。 しかし、よく考えてみると、石原都知事を支持しているような層の国民自身が、実は朝鮮民主主義人民共和国や中国を「仮想敵」として一つにまとまっているような所があるのではないかと、大塚さんは指摘している。同じ穴の狢じゃないかというわけだ。しかし、彼らにその自覚はない。これも「自らに返ってこない論理」の典型だ。 今回のロシア・北オセチア共和国での中等学校占拠事件に関しても、その報道に「自らに返ってこない論理」をたくさん見てしまう。犯人たちの行為は残酷であり、それを非難するのは当然のことであろう。しかし、それを非難するのであれば、その論理は自らにも返ってこなければならないはずだ。ロシアはチェチェンで何をしてきたかというのは果たして問題にされたのだろうか。 ロシアに限らない。世界中で「テロとの断固とした戦い」を表明している国が、一方では何をしているのかということは問題にされているのだろうか。それを全く考えずに、センセーショナルに報道された部分にのみ感情的に反応する姿を見ると、絶望の方がより深く感じられてしまう。 「<国連安保理>ロシアのテロ頻発に非難声明」という記事では、「ロシア・北オセチア共和国での中等学校占拠事件をはじめとするロシアでのテロ頻発を受け、国連安保理は1日、緊急協議を行い、これらのテロを「憎むべき行為」と厳しく非難する議長声明を全会一致で採択した」と報道されている。 確かにこの事件は、ここで非難されるような要素を持っている。しかし、それならば、世界中で非難されなければならない事件は山ほどあるのではないか。その山ほどある事件を想像の中に入れながら、この非難が採択されたのだろうか。 この記事に寄れば、「アナン事務総長も、「社会で最も弱い立場の人々に対する犯罪行為だ」と厳しく非難する声明を出した」そうだが、アメリカやロシアの「テロとの戦い」は、「最も弱い立場の人々」を殺戮していないのだろうか。 「ロシア学校襲撃事件、武装集団はメンバーが殺害されれば子供を殺すと警者」というニュースは、武装集団の冷酷さを表すものと受け取られるだろうが、それでは、予告なしにミサイルで子供たちを殺すイラクのアメリカは、このような言葉を使わないだけ冷酷さは薄いのだろうか。 僕などは、予告をするだけまだ人間性が残っているのだと解釈してしまう。少なくとも、その条件が満たされない間は、子供の殺害はしないということを期待できるからだ。予告なしにやってくるアメリカは、心の痛みさえ感じることなく子供たちを殺すだろう。いったいどちらが冷酷なのだろうか。 この事件では、報道の中のウソというものも気になった。最初の頃の9月2日のニュースでは、次のように書かれていた。 「人質となっている児童、教師、父母らの数は当初、最大四百人とされていたが、タス通信によると、同共和国のズガエフ首相は二日、計三百五十四人であると述べた。 現地からの報道によると、武装集団との交渉は一日夜、ロシャリ氏の到着を待ち始まった。タス通信によると、犯人側は当局側との電話で「子供たちはみな無事で、けがをしている者はいない」と伝えたという。」 「学校占拠 解放交渉進まず 北オセチア」 人質の人数は未だに正確なものが伝わってこないが、当局が発表したからといって、それが事実であるかのように垂れ流すという報道の仕方に僕は疑問を持った。確かに事実だと認められるかどうかという、ウラをとるということがされていないのではないかという疑いを感じる。 ウソを感じるのは、「プーチン大統領は事件に初めて言及、「人質の生命を最優先に解決する」と述べ、当面実力行使は検討していないことを示した。」(「児童ら26人を初解放=脱出路提案は拒否-ロシア学校占拠2日目」)というニュースについてもそうだ。これは、立場上そういわざるを得ないということがあるのだろうが、論理的に考えれば、この言葉は現実には実行できないということが予想されるので、僕はウソを感じてしまう。 「人質の生命を最優先に」考えるのならば、とるべき道は、犯人側の要求をすべてではないにしても一部受け入れて交渉をすることしかないと思う。しかし、要求を受け入れて交渉するということが果たして出来るのだろうか。もしそんなことが出来るのならば、このような「テロ」事件が起こる前に交渉できただろうと思う。そこで交渉が出来なかったから、武装勢力側は、「テロ」という手段に訴えるしかないところまで追いつめられたのだと思う。 事件以前に交渉できないのに、事件が起きたら交渉できて有利な結果を引き出せたとなったら、これはまさに「テロに屈した」ことになるのではないだろうか。イラクでの人質事件が起きた時に、あの事件の結果としての自衛隊撤退はあり得ないと、ほとんどの人間が論じていたが、あれは論理的に考えたらあり得ないという意味だったと思う。論理的に考えられない、あるいは論理を無視するということだったら現実にはあり得たかもしれないが。論理的に考えたら、「テロ」のあとに交渉したのでは、どうしたって「テロに屈した」ことになるだろう。 とにかく、論理的に考えたら、テロと断固と戦うためには、人質の犠牲はやむを得ないと結論するのが論理だと思う。論理というのは、こういうときにきわめて冷酷な結論を出すものだと思う。問題は、そういう冷酷な論理に対して、犠牲になるかもしれない我々も、「断固としてテロと戦う」という選択肢を選ぶかどうかということだ。 断固として戦うのは、ある種の利権を侵されるのを防ぐためだ。チェチェンに独立されてしまうとそこにある利権が失われる。だから、独立の動きを徹底的に弾圧するのだと思う。チェチェンの人々が、独立をあきらめ、奴隷的な状態を受け入れない限りテロとの断固とした戦いは終わらないだろう。 そこまで、たとえどのような犠牲を払おうとも戦いを続けるのだと、「テロとの断固とした戦い」を支持する人々は覚悟しなければならない。そういう覚悟の上であの事件を受け止めなければならないのだと思う。 この事件はひどい結果になったが、そのひどさも、犯人側を非難して感情的に受け止めるだけなら、やはり絶望感が残るだけだと思う。論理的に考えれば、「テロとの断固とした戦いをする」と覚悟したのであれば、あの犠牲は仕方がないと受け止めなければならないし、今後もチェチェンの人々を奴隷的に弾圧しない限り犠牲は出るのだと覚悟しなければならない。 その覚悟が出来なければ、もう絶望するしかないのだというのが、この事件のやりきれなさだ。この事件が予想外に早い展開を見せたのは、犯人側が食料や水の差し入れを拒否したことにもあるだろう。犯人側は、ほとんど死ぬ覚悟で事件を起こしているだろうから、時間を長引かせる交渉をする気がなかったのだろう。 もしこの状態でずるずると長引けば、「人質の命を優先」ということが言葉だけのものであることが分かってしまう。だから、長引かせて犯人側の疲れを待つという作戦がとれなかったのだろう。その前に人質が参ってしまうので、交渉が出来ないとなれば、ぎりぎりのところでつっこまざるを得ないというのがロシア側の判断ではないかと思う。 きっかけとしては、犯人側かロシア側かどっちかというのが詮索されているが、何がきっかけにしろ、ロシア側はつっこまざるを得なかっただろうと僕は思う。そして、その選択は犠牲者を大きくするということは確かだったようだ。 この事件を起こした犯人たちは、この事件の表層だけを見ると冷酷でひどいヤツに見える。しかし、そこに至るまでの過程というのはどういうものだったのだろうか。もし、その過程で何かが改善されていたら、彼らは「テロリスト」にならなくてすんだのではないだろうか。 この事件の受け止め方は、ここまで彼らを追い込む前に何らかの改善を図るかどうかということにかかっているように思う。それが出来なければ、犠牲を払う覚悟をするしかないのではないか。彼ら自身もこれまでに多くの犠牲の中で生きているのだと思う。 神戸新聞社説(「ロシア学校占拠/テロの愚かさ知るべきだ 」)には、その最後に次の文章がある。 「市民の犠牲をいとわない犯行を通じて、自らの主張に目が向けられるはずもない。民族の前途は切り開けない。独立派は、そのことを認識しなければならない。」 これは、ほとんどの人が賛成する普遍的な真理に違いない。しかし、この真理を認識していてのなおかつ、あえてこのような「テロ行為」を選んでいるとしたら、この言葉はむなしく響き、絶望感を増幅させるだけだ。 いったい、誰かがチェチェンの主張に目を向けてくれたことがあるのだろうか。どのようなやり方をすれば、世界が目を向けてくれるのだろうか。誰も目を向けてくれないのは、そのまま我慢して死ねと言っているのと同じではないだろうか。彼らの主張に賛同はしないだろうが、この事件によって「目を向ける」と言うことには成功しているのだ。 神戸新聞の主張は、事件と関係のない、自らは安全な立場にいる人間が語る正論に過ぎない。この正論が真理であるということにも僕は絶望を感じる。この真理に反しても、あえて「テロ行為」の方を選び取る、武装勢力の人々の、僕などよりももっと深い絶望を受け止める必要はないのだろうか。その絶望に思いを馳せない限り、「テロ行為」による犠牲者は決してなくならないだろう。「テロとの断固とした戦い」を主張する人間は、その覚悟もまた語らなければならないと思う。 また長くなったので、コメントの方に二つほど移そうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
小泉首相は、「テロとの断固とした戦い」を主張している。今のところまだ日本人が直接ねらわれたテロは起こっていない。しかし、この主張をする以上、恨みと復讐に駆られた人間が存在する限り、テロによる犠牲が出るのは覚悟の上でいなければならないと言うのを認めなければならないだろう。小泉さんを支持する人は、そこまで自覚して考えているのだろうか。たとえ犠牲を払ってでもテロと戦うのだという覚悟をしているだろうか。
僕は、この犠牲は理不尽だと思う。なぜなら、利権に預かっている人間が犠牲になるのではなく、「最も弱い部分」に存在する人間が犠牲になっているからだ。ゲリラ戦争というのは、正規の戦いではとても対抗する武力がないので、最も弱い部分を攻撃してくる。平時ならば、これを非人間的だとかひどいとか非難も出来るだろうが、戦争状態にあれば、その非難をしても仕方がない。 (2004.09.04 11:47:53)
理不尽な犠牲を防ぐには、それを守るために大金をつぎ込まなければならない。「テロリスト」はどこの学校を襲うか分からない。ロシアはすべての学校に「テロリスト」の襲撃に備えた武装した兵士を配置できるだろうか。たとえ配置したとしても、「テロリスト」だったら、その中で一番弱いところをねらってくるだろう。
もし本気で人命を尊重したテロとの戦いをしようとするなら、弾圧による利権で得られる利益よりも金がかかる防衛費をつぎ込まなければならなくなるだろう。感情論ではなく、ドライに論理的に考えてさえ、本気でやろうとすれば不利益になると思う。利益を上げるには、本気でやらずに、利権に関係のない人間の犠牲などは放っておくと言うことが国家の政策になるだろう。だから僕は、テロとは断固として戦いたくはない。たとえ利権を失うことになっても、交渉によって妥協すべきだと思う。それこそが、テロで犠牲になる立場の我々がとるべき道だと思う。 (2004.09.04 11:48:06)
「テロを出さない断固たる決意」こそ欲しいし、そのほうが現実的であるはずなのにできない。
ロシアは、チェチェンという小国を永年にわたって蹂躙してきたわけだけれど、チェチェンに石油が出なかったら独立できたかも知れない。 しかし、石油欲しさとしても、なんと愚かな選択と思ってしまいます。 けっきょく、どこの為政者も全体の大きな利益より目先の小さな利益を優先してしまうという、共通した病気をもっているとでも考えざるを得ないですね。 人間は、人間によって滅びる運命ということでしょう。 (2004.09.04 20:53:28)
>感情論ではなく、ドライに論理的に考えてさえ、本気でやろうとすれば不利益になると思う。利益を上げるには、本気でやらずに、利権に関係のない人間の犠牲などは放っておくと言うことが国家の政策になるだろう。
実はドライに考えれば考えるほどテロ対策は本気でやらなければなりません、 なぜなら今日の資本主義経済は国際的にも国内的にも高度にシステム化されており、 安全の上に成り立った体制だからです。9.11は極端な例ですが、かつての東南アジア諸国やペルーは治安の安定によって経済的な回復が図られただけに、経済的な理由でテロ対策を渋るというのはまずありえません。 またテログループも一応組織ですから一度相手側の要求を呑むという「弱み」を見せる事は、テロが要求を通す手段として恒常化します。ダッカ事件はその典型でしょう。 日本や日本人を標的にテロをする可能性の高いアルカイダといった国際的なテロ組織は、ヨルダン人やサウジ人といった「恨みと復讐」とは遠い存在の若者が中心です(思想の源流はアフガン紛争の時のムジャヒディン)。 そういった意味では直接恨みを持っているわけではないのにもかかわらず日本を敵視するといった姿勢は、オウムや赤軍と似ている部分があります。 http://mltr.e-city.tv/faq10.html #antipathy (2004.09.06 23:54:05)
イラクにおいて日本が直接恨みを持たれるといった事も、現時点では考えにくいです。というか恨まれる事をするだけの能力がありません(あの程度の装備では攻撃は不可)。
また「アメリカの同盟国だから~」というのもちょっと根拠としては弱く現実に強硬派サドル氏の代理人は 「我々は自衛隊の駐留を歓迎しており、我々の民兵『マフディ軍』が自衛隊を攻撃することはない」 「自衛隊はイラク復興のために来たと宣言し、無意味な住民攻撃などしていない。占領軍(多国籍軍)の一部という形であっても、米軍とは全く別の平和的な部隊だ」(毎日新聞7月12日) と発言しているため、現地で恨みを買うといった事は現時点ではありえないでしょう。 となればテロを起こす可能性の高いアルカイダ系組織ですが、イラクの現状を見ても現地組織と違い、無差別的にテロを起こし、有無を言わさず首を切り落としている現状を見る限り要求を呑むことは被害の拡大を産むでしょう。(現実にフィリピンが撤退後誘拐が続発) (2004.09.07 00:51:26)
msk222さん
民主主義というのは、一人一人の個人が、深い考えを持ち、より正しい判断が出来るだけの論理能力があれば、理想的な政治制度になりますが、簡単にだまされてしまうようなら、権力者にとってはまことに統治しやすい制度になるでしょうね。今の先進資本主義国の民主主義制度は、どうやらその傾向があるような感じがします。 一般アメリカ人は、マイケル・ムーアが描いたような事実をほとんど知らないでイラク戦争の判断をしているといわれています。正しい判断能力のない人が多数を占めて、その人たちがブッシュを支持しているという図式なんだろうと思います。 権力者の腐敗というのも、結局は統治されている国民の民度がどのくらいかということとの相対的な関係なんでしょうね。 日本の民主主義も、その民度の低さが多くの人から指摘されています。僕は、これは教育の結果が大きいと思っています。日本の教育は、優等生は非人間的な優越感を抱くようになり、優等生になれなかった人間は、深く考えることをあきらめてしまうという結果をもたらしているように思います。その教育の効果を何とか出来ないものかなといつも思っています。 (2004.09.07 09:02:55)
蝦夷梟さん
>……… >実はドライに考えれば考えるほどテロ対策は本気でやらなければなりません、 ……… まず、テロ対策を本気でやるとはどういうことなのかという共通理解がなければ、このことは議論できないと思います。僕の場合は、本気でやるのなら、「テロリスト」がねらうであろう、最も弱い部分もカバーできるだけの、充分すぎるくらいの警備が出来るようにするのが本気でやることだと思っています。国家にとって重要な部分は手厚く守るけれど、手が回らないところは、警備が手薄になっていたとしたら、それは本気でやるとは思えません。 ……… >なぜなら今日の資本主義経済は国際的にも国内的にも高度にシステム化されており、 >安全の上に成り立った体制だからです。 ……… これは、その高度なシステムの恩恵を受けられる部分に関しては、安全が保証されていると思います。しかし、そのシステムの恩恵を受けられないところに関してまで、安全が保証されているでしょうか。 一般論で考察する時は、その一般論が成立する条件が大事なのだと思います。議論をするには、その条件をまず吟味しなければなりません。 長いのでいくつかに分けます。 (2004.09.07 09:18:48)
蝦夷梟さん
続きです。 ……… 9.11は極端な例ですが、かつての東南アジア諸国やペルーは治安の安定によって経済的な回復が図られただけに、経済的な理由でテロ対策を渋るというのはまずありえません。 >……… これも、事実と事実を単純に結びつけた解釈で判断することは出来ないと思います。治安の安定というものをどのように定義するのか、経済の繁栄というものも、何を指標にして考えるかということで解釈が違ってくると思うからです。ペルーの治安などは、見方によっては必ずしも安定していなかったと見ることも出来そうです。日本大使館占拠事件はありましたし、警察による市民の弾圧もひどいからです。 ……… >またテログループも一応組織ですから一度相手側の要求を呑むという「弱み」を見せる事は、テロが要求を通す手段として恒常化します。ダッカ事件はその典型でしょう。 >……… 要求をのむというのも、段階があることです。どのレベルで要求をのむのかということが交渉ということですから、最初から要求を受け入れるつもりがなかったら、交渉ということは出来ないでしょう。 交渉が出来ないのなら、たとえ犠牲が出ても強硬手段に訴えるしかないと思います。そもそも、「テロ」という手段を用いて交渉するしかないところまで追い込むことが、政策的な失敗だと僕は思います。「テロ」という手段に対して、交渉できないことはほぼ明らかだと思いますから、「テロ」を生じさせないための政策を考える必要があるのだと思います。 「テロ」が起きてから弱みが見えるのではなく、「テロ」が起きてしまうということが、その社会の持っている弱さを表しているのだと僕は解釈しています。 (2004.09.07 09:19:30)
蝦夷梟さん
さらに続きです。 ……… >日本や日本人を標的にテロをする可能性の高いアルカイダといった国際的なテロ組織は、ヨルダン人やサウジ人といった「恨みと復讐」とは遠い存在の若者が中心です(思想の源流はアフガン紛争の時のムジャヒディン)。 >……… アルカイダの問題は、その存在が、世界の権力者の側にとって都合がいいというのが、それをなくせない理由の一つだと思っています。悪いヤツというのは、根深いところでつながっているんだろうと思います。 ……… >そういった意味では直接恨みを持っているわけではないのにもかかわらず日本を敵視するといった姿勢は、オウムや赤軍と似ている部分があります。 > http://mltr.e-city.tv/faq10.html #antipathy ----- 本当に恨みからの行為である「テロ」なら、悲惨なことではありますが、僕は理解し同情することが出来ます。しかし、権力に利用されているテロは、非常であり、利害関係から行われる犯罪だろうと思います。このような犯罪的なテロは、日本に対する恨みに関わりなく、利害が大きく絡んでいる時には起こりうるのではないかと僕は思っています。 (2004.09.07 09:20:29)
蝦夷梟さん
「あり得ない」という結論が出せるのは、論理の世界の中での話だと僕は思っています。論理の世界だったら、その条件を限定して設定することが出来ます。つまり、この条件の下では、この結論しか「あり得ない」ということが主張できるのだと思います。 しかし、現実の世界では、考えの中にもれていた条件が顔を出すことがあります。そこで、あり得ないと予想していたことが現実に起こってしまって、その事実に呆然とするということがあるのだろうと思います。 直接的な暴力によって恨みの感情が生まれる、という前提で考えれば、直接的な暴力を使わないという条件の下では、論理的には恨みは生まれないと結論することが出来ると思います。しかし、直接的な暴力以外でも恨みが生まれるとしたら、これは、考慮の外に置いてあることなので、予想外の恨みに驚くということが、現実に起こったとしても不思議はありません。 現実の話なのか、論理の話なのかで、「あり得ない」という主張は解釈が違ってくるのだと思います。実際には、日本政府の「ケツ舐め姿勢」があまりにひどいものだったとしたら、アメリカと日本の姿を重ねてしまって恨みが生まれる可能性も考えられないでもないかもしれません。 「テロリストの要求」をのむということについては、テロに遭ってから要求をのむということは、論理的にあり得ないだろうと思います。これは、その方が結果的に望ましいと思っても出来ないでしょう。これは、水面下でテロに遭う前に何とかすることが、政治的判断というものだろうと思います。 (2004.09.07 23:12:47)
秀0430さん
一応、テログループもテロの「効果」というものを考えて行動します。彼らとてターゲットを闇雲に決めているわけではないのです。また一度尻尾をつかまれればその後の活動が困難になります。 そうなだけにグループは相手の体制にとってより効果の高い所にターゲットを定めます。アメリカではワールドトレードセンター、ペンタゴンがそれでした。 テロの可能性の高い場所を重点的に警備するのは当然で、それが国にとって重要な施設であるだけです。 北朝鮮並みの監視国家にならない限り「直前警備力」を全般的に働かすのは物理的に不可能です。 むしろ重要なのは入国管理の際の国際的な情報の共有でしょう、「危ない奴は入れない」これが基本になります。 少なくとも一般市民を守る守らないといった二者択一的なことは現実的ではないでしょう。 (2004.09.08 21:39:01)
秀0430さん
僕が使った「治安」の善し悪しは、体制転覆を図るようなテロがあるか無しかです。 また治安の回復と経済的復興はある程度同時進行で行う必要があります。 ペルーの復興はテロの温床となっていた農村に手厚い支援を行い、センデロルミノソ、トゥパクアマルの反政府組織には徹底した取り締まりを行うといった根と幹を同時に絶つことによってテロが激減し、外資を呼び込む事に成功したからです。危ない国には外資は来ません。 で、日本大使館の一件は追い込まれたトゥパクアマルが破れかぶれに行ったことで、すでに国体を揺るがすような各地で抵抗を起こすような力がもう無かったという事です。 治安と経済復興に関してはWhitebear氏が詳しく解説しております。 http://plaza.rakuten.co.jp/ideacraft/4001 ちなみにテロが先鋭化するのは大抵の場合は、取り締まり強化&支持を失い孤立化によるものです。 オウム、赤軍、アルカイダに共通する事は、別に自分達が直接被害を受けているわけでもないのに、心情的な理由のみでテロを拡大、発生させているという事です。 また彼らは極めて排他的な思想原理で動いているため、話し合いそのものが成り立たないところがあるため、当面は戦わなければならないのが現状だと思われます。 (2004.09.08 23:16:27)
あと「華氏911」は前半部分に勘違い、無理な解釈が非常に多いです。
戦争理由は石油(実は当初僕もそう思っていた)→戦費(居るだけで毎年500億ドル)・復興費用(300~400億ドル)がとんでもなく馬鹿高く石油利権(どんなに多く見積もっても年間120億ドル)にとても見合うものではない。 戦争があれば軍事産業が儲かる→軍事企業は軒並み収益が落ちてます。ボーイングにいたってはコマンチヘリ開発中止で悲惨な状態(他の兵器の納入予定数はどんどん減らされています) ブッシュはラーカイル社と繋がっている→ラーカイルは共和、民主両方と繋がっており、ブッシュ政権でクリントン政権下に発注していた110億ドルのプロジェクトを凍結しております。 サウジに遠慮して王族の国外退去をブッシュがおこなった→FBIの承認でリチャード・クラーク本人が行いました。 ~~~他多数~~~ まあムーア本人が「政治的に偏っている映画」といっている以上、突っ込むのも野暮なんでしょうが・・・ (2004.09.08 23:34:32)
蝦夷梟さん
>……… >一応、テログループもテロの「効果」というものを考えて行動します。彼らとてターゲットを闇雲に決めているわけではないのです。また一度尻尾をつかまれればその後の活動が困難になります。 ……… これは、言い換えれば、テロというのは予測不可能だということですよね。「ターゲットを闇雲に決めているわけではない」とはいっても、次にどこをねらうかは、予測されるようなら「効果」がないわけですから、結局は分からないということなのではないでしょうか。 ……… >そうなだけにグループは相手の体制にとってより効果の高い所にターゲットを定めます。アメリカではワールドトレードセンター、ペンタゴンがそれでした。 >テロの可能性の高い場所を重点的に警備するのは当然で、それが国にとって重要な施設であるだけです。 ……… これも、言い換えると、重要な施設が守られれば、国家権力としてはそれで良しとして済ませるのだということではないでしょうか。重要でないところがやられても仕方がないという考えではないでしょうか。 そういうのを、僕は「本気でテロ対策をしている」とは思えないのです。 長かったので二つに分けます。 (2004.09.08 23:57:41)
蝦夷梟さん
続きです。 ……… >北朝鮮並みの監視国家にならない限り「直前警備力」を全般的に働かすのは物理的に不可能です。 ……… 北の国でテロが起きないのは、権力の側にとって「テロ」が役に立たないからと解釈することも出来るのではないでしょうか。「テロ」が起きるところは、その「テロ」が何らかの意味で権力の側にも都合のいい利用が出来る条件があるところで起こっているような気がします。 そういう疑いがあるので、テロ対策を国家権力が本気でやるのだろうかという疑問が消えません。 ……… >むしろ重要なのは入国管理の際の国際的な情報の共有でしょう、「危ない奴は入れない」これが基本になります。 >少なくとも一般市民を守る守らないといった二者択一的なことは現実的ではないでしょう。 ----- これもその逆の事実の方が見えてきそうな威がします。明らかな難民で、少しも危なくないように見える人が、人権を踏みにじられるような不法滞在者の扱いを受け、アルカイダと関係があると疑われている人間が、何回も出入国を繰り返しているなんていう報道があったりします。こういう事実を見ると、やっぱりテロ対策を本気でやる気はないんだなと思わざるを得ません。手抜きをすることで、どこかが利権をつかんでいるのではないかと疑いたくなります。 (2004.09.08 23:58:03)
秀0430さん
>少しも危なくないように見える人が、人権を踏みにじられるような不法滞在者の扱いを受け、アルカイダと関係があると疑われている人間が、何回も出入国を繰り返しているなんていう報道があったりします。 サウジ、ヨルダン、シリア国籍といった人間の入国監査は厳しくなるでしょう(監査時間が長くなる程度)。過去の経歴やテロ組織の関連団体に属しているゆな人物は入国拒否もしくは監視が付けられるでしょうね、 そういった情報は海外に諜報活動を行っていない日本としては、主にCIA、場合によってはKGB、モサド、バチカンから仕入れる事になるでしょう。 ちなみに監視が付けられる事自体は法律的には問題ありません また日本の公安活動はお世辞にも高いとは言えず、それは一朝一夕で育つものではありません、政府が本気云々以前に北朝鮮の工作員、オウム事件をみても分かるように、元々の諜報能力は非常に低いものがあります。システムの構築には金と時間が掛かるのです(ちなみにCIAの年間予算は3兆円)。 >重要な施設が守られれば、国家権力としてはそれで良しとして済ませるのだということではないでしょうか。 それは「all or nothing」の考え方です。北朝鮮の拉致やイラクでの誘拐事件であれだけ世論は大揺れになったのですよ。 仮に「重要施設さえ守れればOK」といった感じの政党はどうなると思いますか?国民の信を失い「社民党化」するのは目に見えてます。 国家権力を批判的に見るがあまり、実現不可能なハードルを設定してませんか? (2004.09.11 00:29:12)
蝦夷梟さん
>……… >僕が使った「治安」の善し悪しは、体制転覆を図るようなテロがあるか無しかです。 ……… 体制転覆は、体制側にとっては「悪」かもしれませんが、反対の立場から見ると、それは「抵抗」であり「善」であるかもしれません。むしろそういうものを「悪」と見ることで、自らの立場を語っているようにも見えます。僕は、それらのものは相対化されなければならないと思っています。条件によっては「悪」でしょうが、条件によっては「善」にもなりうると思っています。条件を検討しなければ評価することは出来ないでしょう。 ……… >また治安の回復と経済的復興はある程度同時進行で行う必要があります。 ……… これも条件を検討しなければならないでしょう。ある人にとっては、経済を表す指標が伸びれば経済の復興と言うことが出来るかもしれませんが、現実に生活感覚が豊かになったと感じられなければ、経済が復興したと思えないでしょう。弱者を切り捨てて復興する経済もあると思うからです。 かつて東京都は、美濃部都政の時に赤字をつくり、鈴木都政がその埋め合わせをしたといわれていますが、その中身を調べてみると、鈴木都政は徹底した弱者切り捨てで、美濃部都政が福祉や教育に使っていたお金を切り捨てて赤字を立て直したという面があります。どの立場で見るかで評価は違ってくるでしょう。 (2004.09.15 09:52:30)
蝦夷梟さん
……… >ペルーの復興はテロの温床となっていた農村に手厚い支援を行い、センデロルミノソ、トゥパクアマルの反政府組織には徹底した取り締まりを行うといった根と幹を同時に絶つことによってテロが激減し、外資を呼び込む事に成功したからです。危ない国には外資は来ません。 ……… この評価も相対的なものだと思います。外貨を呼び込んでどこが得をしたのかということで、その評価も変わってくるでしょう。「徹底した取り締まり」は、市民の犠牲を伴うものですが、それが市民の犠牲としてではなく、「テロ組織の撲滅」という宣伝をされることもあります。チェチェンでの事実のように。 外貨が来るのは、危なくない国と言うよりも、たとえ危なくてもかなりの儲けが確実に見込める国なら、外貨がやってくるような気もします。儲けを呼び込むために軍事力を使うというのは、昔からよく行われてきたことのように思えます。 ……… >で、日本大使館の一件は追い込まれたトゥパクアマルが破れかぶれに行ったことで、すでに国体を揺るがすような各地で抵抗を起こすような力がもう無かったという事です。 >……… 破れかぶれであっても、あの程度のことをやられてしまうというのは、やはりテロ対策の失敗だと思います。むしろ、そのようなところまで追い込むことなく静めることを考えるのが本当のテロ対策ではないでしょうか。 (2004.09.15 10:01:53)
蝦夷梟さん
>……… >治安と経済復興に関してはWhitebear氏が詳しく解説しております。 > (アドレス略) >……… 「1.殺される、盗まれるなどの心配がなく、 2.最低限の食料があって病気の心配もなく 3.道路や通信、エネルギーがある という前提があってようやく 4.経済活動(仕事) ができるわけです。」 という意見には賛成です。しかし、イラクでの米軍は、この前提を少しも成功させていません。イラクでは、常に殺される危険があり、病院などもひどい状態のようですし、インフラの整備も全く進んでいません。徹底したテロとの戦いは、日常生活の破壊をもたらしています。 経済活動の前提を破壊するのがアメリカの言う「テロとの戦い」ではないでしょうか。イラク人の生活を破壊してもなお、アメリカにとって儲けの種があるからまだイラクから離れていかないのだろうと僕には思えます。イラクにとっての経済活動はあまり関係なく、アメリカにとっての経済活動が優先されているのだろうと思います。 ……… >ちなみにテロが先鋭化するのは大抵の場合は、取り締まり強化&支持を失い孤立化によるものです。 (中略) >また彼らは極めて排他的な思想原理で動いているため、話し合いそのものが成り立たないところがあるため、当面は戦わなければならないのが現状だと思われます。 ----- 戦いが、「断固としたもの」「徹底したもの」であれば、テロリストたちをますます追いつめるものになるでしょう。戦わなければならないとしても、その方法においては、市民の犠牲を増やすだけの結果を招いていると思います。ロシアがそのいい例だと思います。 他に方法がなければ戦わなければならない、という考え方も、他に方法がなければ話し合わなければならないという考え方も相対的なものです。どちらを選ぶかというのは条件次第でしょう。 (2004.09.15 10:32:06)
蝦夷梟さん
……… >あと「華氏911」は前半部分に勘違い、無理な解釈が非常に多いです。 >……… 解釈というのは、立場が違い・視点が違えば全く別のものになるものです。無理な解釈に見えると言うことは、マイケル・ムーアとの立場・視点の違いがあるからだと思います。同じ視点に立てば、むしろあの解釈しかないだろうとも感じます。 ……… >戦争理由は石油(実は当初僕もそう思っていた)→戦費(居るだけで毎年500億ドル)・復興費用(300~400億ドル)がとんでもなく馬鹿高く石油利権(どんなに多く見積もっても年間120億ドル)にとても見合うものではない。 ……… コスト的な問題は、多くの人が指摘しているもので、それが理解できれば戦争をしないだろうと予想していました。だから、田中宇さんなどは、ブッシュは論理的な理解が出来なかったんだろうと結論しています。 しかし、この利害関係も、アメリカという国家の利害だと思えば、コストに見合わないではないかと言うことになるでしょうが、権力の中枢にいる人間の私的な利益という面で考えれば、国家が損をしようが自分が儲かるという見込みがあれば、その私的利益の追求という目的で戦争につっこむという解釈も出来ます。ハリバートンなどがどのくらい稼いでいるのかハッキリさせてもらいたいものです。 (2004.09.15 10:43:10)
蝦夷梟さん
……… >戦争があれば軍事産業が儲かる→軍事企業は軒並み収益が落ちてます。ボーイングにいたってはコマンチヘリ開発中止で悲惨な状態(他の兵器の納入予定数はどんどん減らされています) ……… だからこそ軍事産業は危機感を持っているんでしょうね。戦争がなければ、もっと収益が落ち込んで、そのうちいらない産業になってしまうでしょう。それに、まともに稼ぐのと違って、戦争で儲けるのは、その儲けも大きいんだろうと思います。まともに儲けるだけの工夫が軍事産業には出来ないのではないかと思います。 今回の戦争が無理矢理にやられたものだというのは、軍事産業もそうとう追い込まれているんだなと、僕はそのような解釈します。 >……… >まあムーア本人が「政治的に偏っている映画」といっている以上、突っ込むのも野暮なんでしょうが・・・ ----- これは、運動のスローガンとしての映画だと思いますから、そこを批判しても仕方がないという感じですね。むしろ、どの程度ブッシュ再選阻止という運動に貢献したかが問われるのではないかと思います。 (2004.09.15 10:43:35)
蝦夷梟さん
問題は、権力の側がかなり情報をつかんでいて、危ない人間を監視していても、肝心の事件の時にはそれを事前に防げないと言うことです。泳がせて情報を得ているのだろうと思いますが、泳がせて、実行まで行かせてしまうと言う不手際は、能力の問題なのか、それともわざと実行までさせて、そのことをむしろ利用しているのではないかという疑いもあります。 本気でテロ対策をするのなら、たとえ泳がせていても、肝心な時にはテロが起こる前に防ぐだけの努力をしなければならないということだと思います。しかし、911のニューヨークのテロでも、わざとその事件の捜査を怠っていたのではないかと疑わせる事実が語られたりします。こういう事実が、テロ対策を本気でやっていないと思わせるものなのだと思います。 >……… >それは「all or nothing」の考え方です。北朝鮮の拉致やイラクでの誘拐事件であれだけ世論は大揺れになったのですよ。 >仮に「重要施設さえ守れればOK」といった感じの政党はどうなると思いますか?国民の信を失い「社民党化」するのは目に見えてます。 >国家権力を批判的に見るがあまり、実現不可能なハードルを設定してませんか? ----- 重要施設さえ守れば仕方がないと権力の側が思っているのではないかと僕が考えるのは、重要施設はなかなか本格的なテロにはねらわれなからです。それと同じだけの警備を、ねらわれるかもしれないあらゆる施設にしなければならないと思います。それが本気でテロ対策をしているということだと思うからです。 しかし、これは「実現不可能なハードル」でしょうね。だから、一般民衆は論理的な帰結として、テロの犠牲になるのはやむを得ないと、いう状態にいるのだと思います。今のテロ対策が続く限り、この論理的帰結は現実に表れるのだろうと思います。 (2004.09.15 10:54:47)
秀0430さん
あのですね~、せめて反論には事実を元にした根拠を示してください。実際の事件を根拠に論理展開している僕の身にもなってください。 「思っている」「感じている」じゃお話になりませんよ。根拠無き意見はただの想像です。 なぜ意見に根拠が必要かは以下の通り。 主張のあるパラグラフ,主張のある文書の結論は「意見」である. 筆者の気持ちとして,結論である意見を手っ取り早く書きたいのは当然だが,意見だけを書いたのでは読者は納得しない.事実の裏打ちがあって,始めて意見に説得力が生まれる. この「意見」は,事実の上に立って論理的に導き出した意見でなければならない. その意見を,「根拠のある」意見として読者に受け入れさせるためには,意見の基礎になる全ての事実を正確に記述し,それに基づいてきちんと論理を展開することが必要である. 根拠のある意見――sound opinion――とは,その問題に直接に関係ある事実の正確な認識に基づいて,正しい論理に従って導き出された意見のことである. 出発点の事実認識に誤りがある場合,または事実認識は正確でも,論理に誤りがある場合には,意見は根拠薄弱なもの――unsound opinion――になる. (木下是雄「理科系の作文技術」,中公新書,1981/9/25, P.105-115,抜粋要約) (2004.09.16 01:18:51)
秀0430さん
あと田中氏を情報源として持ってくるのも問題ですね。 イラク戦争とブッシュ大統領の信仰 http://tanakanews.com/d0405iraq.htm おそらくここから持ってきたと思いますが、 「キリスト教の信仰に目覚めたことと関係しているのではないか」 「自分が大統領になれたのは、神が自分に悪の化身フセインを倒し、中東の人々を救う役割を与えたからに違いない、といった思い込みがブッシュの中にあるのではないか、という見方である。」 といった憶測から生み出された憶測なんて信用に値しません。このような物は論理や事実とはかけ離れたものです。 僕も研究者の端くれですが、田中氏は明らかに事実考証と執筆のバランスが崩れていますね。 人気のある解説員・スポーツジャーナリストが執筆に追われ、現場で取材をせずにコラムの質を落としていくのはよくあることなのですよ。(例=金子達人) (2004.09.16 01:50:36)
秀0430さん
軍事部門に関しては、9.11以降装備品の調達等の発注数が伸びたという話は聞きました? 発注したところで配備されるのは数年後ですよ、ましてやGE、ロッキード、ボーイングといった大手は民生部門の収益の方が大きいんですよ。 戦時体制による経済の不安定化は民生部門に打撃を与え、その上装備品調達量も増えないどころか減る状況じゃ、「戦争起こして儲ける」といった説は問題外です。 あと、アメリカも日本も政治権力は選挙によって成り立っているのですよ、ただの一業種を優先させて景気を後退させる様な事や、安全保障を蔑ろにするような政権はどうなりますかね? >権力の中枢にいる人間の私的な利益という面で考えれば、 考えるのは勝手ですが、論として成り立たせるには「事実」という根拠が必要です。むしろ「権力者は私利私欲しか考えない」といった見方を疑ってみるべきでは? 百歩譲って私利私欲しか考えないとして、政治権力は選挙によって成り立つのですよ、いわば選挙民の私利私欲と合致した利権を持った政治家が選ばれるのです。結果として選挙民の為の政治が行われます 。 >わざとその事件の捜査を怠っていたのではないかと疑わせる事実が語られたりします。 それは事実ではありませんただの憶測です。 (2004.09.16 02:25:02)
蝦夷梟さん
>……… >あのですね~、せめて反論には事実を元にした根拠を示してください。実際の事件を根拠に論理展開している僕の身にもなってください。 ……… あなたと僕との「やりとり」は、議論ではありません。議論というのは、前提を同じくするものが、解釈が違ったり・視点が違ったりして異論を持つ時に起こるものです。 あなたと僕とは、その前提となるべき、立場や視点、そして言葉の定義が全くバラバラです。それがいかにバラバラであるかを僕は記述しているのですから、あなたの望む文章を書いて欲しいといってもそれは出来ません。せめて前提をどこに置くかということでなら議論できるかもしれませんが。 あなたが見る事実を、僕はこう見るという視点の違いを語り、あなたが使う言葉の定義を、僕は違う意味で使い、その意味で考えればこう結論づけられるということを語っているだけです。 まあ、一つのテーマを巡って感想を出し合っているという程度ですから、議論にはならないと思います。僕は、あなたの視点で世界を眺めることは出来ないという主張をしているのであって、あなたの主張そのものを否定しているわけではないからです。だから、僕の記述は反論ではないのです。 (2004.09.16 10:44:57)
蝦夷梟さん
>……… >おそらくここから持ってきたと思いますが、 >「キリスト教の信仰に目覚めたことと関係しているのではないか」 >「自分が大統領になれたのは、神が自分に悪の化身フセインを倒し、中東の人々を救う役割を与えたからに違いない、といった思い込みがブッシュの中にあるのではないか、という見方である。」 >……… 僕は、ブッシュの間違いを、ブッシュの信仰と結びつけた記述をした覚えはないのですが、どこでそのような書き方をしたでしょうか。ブッシュの間違いは、事実として指摘できるものばかりなのです。大量破壊兵器があると主張したのに、とうとうそれが見つかりませんでしたし、もはやそれを見つける努力もあきらめたようです。 ブッシュの論理的な間違いがどこから生まれたかということで、一つには、ブッシュには元々論理的に考える能力がないのだという考えもあるかもしれません。でも、能力の問題はそう簡単に結論できるものではないので、もっと信頼できる原因は何かと探した結果、信仰との関係に言及するのは、決して憶測だけだとは思えません。 それに、上の文章は田中さんの主張ではありません。よくその前後を読めば分かるのですが、これは「ニューヨークタイムスで中道派系のネオコン批判記事を多く書いている著名記者ニコラス・クリストフ」という人の主張を田中さんが引用しているだけです。つまり一つの見方として紹介しているだけなのですね。田中さんは、この文章の前に 「ブッシュ大統領がなぜ、どのように「不合理な決断」をしたのかということは、ブッシュ自身が弾劾訴追されて大統領の座を追われでもしない限り、明らかにならないだろうが」 と語っています。 長くなったので二つに分けます。 (2004.09.16 10:59:42)
蝦夷梟さん
上の文章の結論です。 このように、あなたと僕とは、一つの文章の読み方についても全く違う読み方をしているのです。どれだけ違うかということは語れますが、同じテーマを巡って議論することなどは無理だということがおわかりでしょうか。 (2004.09.16 11:00:12) |
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