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カテゴリ:身近な歴史シリーズ
CD(コンパクトディスク)
これは厄介だ! かなり熟読せねばわからない。 そもそも俺が軽率なのだが、 「CD」という言葉からあの円盤のような 音楽が収録されたCDを想起していたんだが、 よくよく考えてみたらその音を外に出すCDプレーヤーが必要なわけさ。 レコードには蓄音機。 カセットテームにはラジカセみたいに。 そのことは考えずに、カセットテープもMDもきてしまった。 CDの歴史を読む中でそのことに気づかされた。 コンパクトディスクの歴史 ソニーのCDプレーヤー1号機1970年代前半、フィリップスとMCAがレーザーディスクを開発。 1975年、ソニーが光ディスクの開発を開始。 1977年、フィリップスがCDの開発を開始。 1979年、フィリップスがCDプロトタイプを示し、ソニーと共同開発を開始。 1981年、ドイツでテストCDが製造。 1982年、CDの生産が開始。 10月1日、日本においてソニー、日立(Lo-Dブランド)、日本コロムビア(DENONブランド、日立のOEMで発売)から世界初のCDプレーヤーが、CBSソニー、EPICソニー、日本コロムビアから世界初のCDソフトが発売された。 同時にレコード店で取扱いが始まったが、当初は「レコードよりも音質がよく、ノイズがないニューメディア」として扱われた。レコードと同じ商品のCD版として売られ、価格もレコードよりも約2割ほど高かった。レコードではライナーノーツといわれる楽曲説明を載せた印刷物が入っていたが当時のCDは現在の様に中綴じ製本されたものではなく、LPと同じライナーノーツを4つに折ってCDケースに入れる例が多かった。 1982年10月20日、日本から遅れること約3週間後に欧州で初めてフィリップス製のCDプレーヤー及びポリグラム製のCDソフトが発売された。両者共に日本でも輸入販売され前者はマランツブランドにて、後者はポリドールと日本フォノグラムから欧州と同時に発売された。 1983年、米国およびその他の市場でもハード、ソフト共に販売が開始された。 1984年、ソニーから5万円を切るポータブルCDプレーヤー、D50(49,800円)が発売され普及に拍車がかかった。ちなみに原価率は200%であった(1台売るごとに5万円の赤字)。 1985年、当時の西独のポリグラム社によって"AAD" / "ADD" / "DAD" / "DDD"といった表記が印刷されるようになり、この表記はその後他社も使用する様になる(レコード会社によっては"Digital Recording"/"Digital Mastering"など異なった表記がされているものがある)。最初の文字は「レコーディング方式がアナログかデジタルか」、2番目の文字は「マスタリングあるいはミックスダウン方式がアナログかデジタルか」、3番目の文字は、「最終的な商品であるその録音メディアの記録方式がアナログかデジタルか」を表す。商品がデジタルメディアであるCDでは3番目の文字は常に"D"である(アナログレコードでもこの表示が為されていた商品がある)。この表示は日本ではすぐに廃れた(若しくは他の表記に変更された)が、輸入盤CDやクラシックやジャズなどの作品には未だにこのマークが印刷されているものがある。ちなみに"ADD"と表示されたCDとは、デジタル・レコーダーが実用化される以前にアナログ方式で録音されたソースを元にデジタル・レコーダーでマスター・テープを作り直し(デジタル・リマスターという)それをCDとして大量複製したという意味である。"DAD"はデジタル・レコーダーの実用化以降にデジタル録音したソースをわざわざアナログ・レコーダーを使ってアナログ方式のマスター・テープを作ったという意味になり、仮にそういう商品が存在したとしても極めて特殊な例であろう。 レコード会社が親会社であるオーディオメーカーに配慮してレコード生産を縮小したこともあり1986年、販売枚数ベースでCDがLPを追い抜いた。 1987年、Mobile Fidelity Sound Lab、日本コロムビア等から反射膜に24Kの純金を使用した「GOLD CD(24K純金CD)」が発売され他社もそれに追随するが1995年に日本ビクターが発表した高音質仕様CDであるXRCDが登場してからは余り発売されなくなった。 その後、1990年代にかけてLPは生産されなくなっていく。 しかし90年代末期以降、ごくわずかな需要や最近注目されつつあるアナログ音響ブームもありLPが再生産されるケースが増えてきている。 2006年、ガラス基板のCDが発売された。通常のディスクと較べると、理論的に音質の劣化が起きにくいとされている[要出典]。一方でコスト面やプレイヤーとの互換性に関して欠点もあげられている。 2008年、CDの保護層に液晶パネル用のポリカーボネートを採用したSHM-CD(スーパー・ハイ・マテリアルCD)が登場。それが一定の評価を得たことを受け、追随する形でハイ・クオリティCDとブルースペックCDが同年に販売された。 つまり ソニーが1970年代にCDプレーヤーを開発したのがはじまりということになる。 ソニーってのはすごいんだな! で、 俺が言うところのCDは 1982年 に製造開始されて、その年の10月1日に発売されたということかな・・・ なんというCDが最初だったのだろう? ちなみに 僕が記憶にあるのは はじめて買ったCDは吉田拓郎の「176・5」という CDだったような気がするんだ。 CDプレーヤーを持たずにCDを買ってしまい 戸惑った記憶があるぞ・・・ 最後に勝ったレコードも吉田拓郎の「ひまわり」じゃなかったかな? あの頃の吉田拓郎の歌は最低で、 一度聴いたら二度と聴かないものが多かったので あの時代(いつ頃だろう?)の吉田拓郎の歌はあまり知らないんだ。 身近な歴史シリーズは 自分を振り返る自分史でもあるんだなあ~。 追記。 今調べたら、 吉田拓郎「ひまわり」が1989年2月8日発売。 吉田拓郎「176,5」が1990年3月31日発売。 な、な、なんと CD発売されて8年後になってやっとCDと出会ってるわけである。 3人の子育てでお金が趣味にはまわらなかったか、 麻雀で負け続けて借金があった頃かもしれない。 昔のことは忘れた・・・ あ、CDで最初に俺の中でヒットした歌は これだった。「俺を許してくれ」 聴いてください! 俺を許してくれ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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