天地に還る
ラダックの中心都市、レーで泊まっていたパンチュクリンGHはチベット難民のミンチュンとレー王家の末裔のアンモ夫婦が切り盛りしていた。泊り客が6人足らずの小さな宿で、食事は朝夕みんなで広間に集まって床に座って話しながら(ただし英語)一緒に食べる、下宿のような宿だった。夫が高山病から復帰した直後だったと思うが、ある日ミンチュンが「亡くなった知り合いの葬儀に行くがお前たちも来るか?」と誘いに来た。他の泊り客はいなかったし、我々はモンゴロイドなので違和感もなかったのか、彼の真意は分からないが、それは稀有な機会なので出かけることにした。町外れのGHから更に畑や牧場の道を抜け、ゴンパを右手に見ながら更に街から遠い、農家が点在する場所に出た。大勢の人々が死者の出た家からの出棺を待っている。やがて僧侶たちがドゥンチェン(チベットホルン)やギャリン(チャルメラ)、シンバルなどの楽器を奏でながら行列を作ってやってきた。帽子は赤い。ああ、ここはゲルク派じゃなくてニンマ派なのか、と思う。僧侶の列の後ろから遺体を収めた棺が男たちに担がれて続き、おそらく遺族たちが後ろを着いて歩く。女たちは家の中で大声で泣いている。参列者は普段着のままで、葬礼の際に喪服を着るということはないようだ。私たちも葬列の後ろからぶらぶらと着いていく。ミンチュンの話では、鳥葬はこの近辺では行われていないらしい。今回の葬儀も火葬である。彼曰く、水葬は貧しい人、土葬は悪人の葬り方なのだそうだ。道は小高い丘の上に続く。遠く雲雀がさえずっている。棺が遠目には小さな焼却炉のような火葬場の上に置かれた。人々が周りをマニ車と同じように時計回りに回り、ハダを供え、そして五体投地を行って次々に去っていき、数名の参列者と僧侶が残る。火が点けられ、雲が低く浮かぶ深い青空に煙がゆらりと上っていく。ミンチュンが「さあ行こう」と踵を返した。最後までいなくていいのか、と尋ねると、「いる必要はない」と言う。荼毘が終わるまで数日かかるらしい。遺灰は一部が小さな仏塔に納められ、あとは地に撒かれるのだそうだ。彼が言うには、この先、死者を弔う儀式は四十九日目で終わる。死んでから49日経てば輪廻転生して死者の魂はこの世に残っていないので、その後は死者を悼む儀式をする必要は全くない。もし四十九日の後もまだ何かしら弔いの儀式をするとすれば、それは生前によほど罪業を積み重ねた人の罪を救うために行う、と。チベット仏教から見れば、やれ月命日だ年忌だと無闇にやらかす日本人は、みな罪業まみれで死後は地獄で血の池に浮き沈みしているような輩ばかり、ということではないか(笑ミンチュンに「日本人は仏教徒が多いんだろう、葬式はどうだ」と訊かれ、「今は火葬がほとんどだけど、昔は土葬が多かったし今もある」と言うと、「土葬にするのは罪深い人だからなのか?」と訊かれてしまった。これで年忌の話とか坊さんが家庭を持ってるなんて話をしたら、きっとミンチュンはひっくり返るだろうと思って黙っていたが。ミンチュンに言わせればここでも坊さんがたかり紛いのことをしたり、結構生臭い連中もたくさんいて、それなりに問題はあるらしい。聖職者といえどそうそう清廉潔白ではないというのはいずこも同じ。レー市内のどこかのゴンパでは小坊主に金をせびられたりしたし。まあしかし日本の生臭坊主に比べれば可愛いものかもしれないが。教義はともかくとして、死んだ後の潔さだけはちょっと羨ましかった。骨を壷に詰められて湿っぽいコンクリートの墓の下に入れられるのでなく、煙と灰になって天と地に還るとは、なんと気持ちいいことだろう。自分もそれがいいなあ、とちょっと羨ましくなったラダックの晴れた午後。