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カテゴリ:番外編
気分が鬱として塞ぎこむような雨の日、窓ガラスをつたう雨つぶを見ながらいつも思い出す。
何年か前、イスラームの人、である友人の家に、ちょうどこんな天気の時に遊びにいった時。 「あー、ウーロン茶飲みたい…。でも雨だしなー、でもどうしても飲みたい!」 そんなことを言うが早いか、傘をもって飛び出そうとする私を、巨体の友人がむんずとつかむ。 マンガみたいに空中でバタバタする私。 「馬鹿なことを言っちゃいけない。雨がこんなに強い時は、神様が外に出るなということだよ。」 むむぅ。 仕方なく手足のバタバタをあきらめて地面におろしてもらう。 一理ある。 私はイスラーム信者ではないけれど、友人から聞いたり、本で読むイスラームの教えにはなるほどと納得させられることが時々あった。そのひとつが、自然な流れに逆らわないこと、だった。 (イスラームでいえば『偉大なるアッラーのみ心のままに』ということになるのだろう) 全ては偉大なる自然の摂理の中にある。 いとも小さき人間ごときが、その中で自分の考えを勝手に正当化したり、あるいは無理を承知でじたばたするのはとても愚かなことだ…。 その考えは、私の中に「乾いた大地に水が浸みこむような」自然さですっと入ってきた。 時々、焦る。焦るあまり、自分を見失いそうになる。 新しい仕事、新しい人の輪に、なぜか積極的に踏み込めないとき。 あるいは、大好きなはずのヌーヴォー・シルクの仕事に、なぜか力がはいらないとき。 がんばらなくちゃいけないのに。とけこまなくちゃいけないのに…自分を責め、追い詰める。 そんな時は言い聞かせるのだ。 いいの、いいのよ。 そういう状態になっているのには、必ず何か理由がある。 今は雨が降っているんだ、そういうこと。 「今は動くな」 そういうメッセージ。だから時を待て、満ちるまで。 そうすると、気持ちが少ぅし、楽になる。 頭ではなく、体や、心や、皮膚感覚に届くメッセージに、耳を傾けていよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年06月25日 10時28分34秒
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