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カテゴリ:art & mode
印象派のオスカー クロード・モネ(1840-1926)を眺めると百年以上前も満更でもなく新日本印象派は世相だけでなく美術の潮流なども過ぎ去ってしまってから分かるものかと。パリから二時間半のノルマンディーの港町ル・アーブルで育ちパリに出て画家を目指しサロンを落選しながらも83年ジベルニーの小村に移転し家族10人と暮らし二度目の妻や長男を亡くし最後まで過ごした。超一流の批評家て゛後に首相になったクレマンソーと親しく、アトリエ船をつくって水上から自然模写をしていたが庭いじりが高じて19の花壇を創りるまでになりモチーフがシンボルとなり睡蓮や柳の連作となり、戦争と平和を経て成功を収め晩年は光を求め失明に苦しむ。セーヌ左岸にオルセー美術館があり死後対岸にオランジュリー美術館が出来両方で多くの息吹が楽しめる。モネの庭は財団が維持保存し、日本でも高知県の北川村に第三セクターの模した池が再現されている。アートも次代へ。
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