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カテゴリ:教科学習
ちょっと話題に遅れ気味だけれど・・・ 猫ギター先生やZEST艦長が、「国語不要論」を述べておられる。それに対するアンチテーゼとまではいかないが、いつか披露しようと思っていた論文(?)があるのだ。 現国のとてもよく出来る、ある子(とりあえずO君としておこう)がいた。彼は現役で文1に合格し・・・もうすぐ「官僚」になる。 その彼に、現国の出来る理由を以前に書かせたのである。今、その論文を一挙に掲載するのはちょっと無理なので、何回かに分けて、「引用」しよう。 彼の現国の出来る素地は、どうやら小学校3・4年生のときの教師によって形成されたものと思われる。 ☆ここから引用。 「今、彼(注:小学校3・4年のときの担任)のせりふの中で憶えているのは、『ノートは鉛筆と赤ペンだけで勝負しろ』ということ。 読んだ内容や聞いたことをシンプルにまとめ上げることを常に意識すること、そして赤ペンというたった1つの強調の術を使う部分を見つけ出すこと、それを自然に行うことを目指した言葉だったのかな、と思っています。 日記の継続も彼がすすめたことの1つです。それもおもしろい日記を書けと。例えば、インパクトのある文を書くには、文は話し言葉、つまりかぎかっこや、さらには擬音語で始める手があると。 とても単純だった当時の自分は、とにかくその一日の「音」を思い出し、導入の表現をさがしていました。そうやって書き上げた日記には、当時の自分にとってはご褒美に近いような、小学生心をくすぐる知的な言葉が添えられました。 「百日継続」というのをとりあえずの目標に、ネタがなくてもどうにかして何かを書き上げるという経験は、一日一日に意味を持たせるということからも貴重なことだったような気がしています。」 ☆とりあえず、第1回はここまで。 小学校の先生は重要だなと本当に思う。その子の一生を決めてしまう。私にも似た経験がある・・・・。 では第2回をお楽しみにー!
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