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ガリラヤ湖ほとりにて・・

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May 28, 2017
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カテゴリ:今日の御言葉

手書きハート(マルコによる福音書4章1~20節)

『イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群集がみもとに集まった。
(ガリラヤ湖畔で撮影)


 そこでイエスは湖の上の船に乗り、そこに腰を下ろされ、群集は皆岸辺の陸地に居た。

 イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。

 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、種は道端に落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。

 
 また、別の種が岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が昇ると、焼けて根が無い為に枯れてしまった。

 
 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところがいばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。


 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽生え、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。そしてイエスは言われた。

 「聞く耳のある者は聞きなさい。」

 さて、イエスだけになった時、いつも付き従っている人たちが、十二弟子と共に、これらの喩をのことを尋ねた。そこで、イエスは言われた。

 「あなたがたには神の国の奥義が知らされているが、他の人たちにはすべてたとえで言われるのです。それは、彼らが確かに見るには見るが解らず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めてゆるされる事がない為です。」

 そして、彼らにこう言われた。「このたとえが解らないのですか。そんな事でどうして喩えの理解ができましょう。

 種蒔く人は御言葉を蒔くのです。みことばが道に蒔かれるとは、こういう人たちの事です。---みことばを蒔くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。

 同じように岩地に蒔かれるとは、こういう人たちの事です。みことばを蒔くと、すぐに喜んで受け入れるが、根が張らないので、ただしばらく続くだけです。それでみことばの為に困難や迫害が起きると、すぐにつまずいてしまいます。

 もう一つ、いばらの中に種が蒔かれるとは、こういう人たちです。---みことばを聞いてはいるが、世の心使いや、富みの惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばを塞ぐので、実を結びません。

 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのです。』


この【良い地に蒔かれた種】の話は、”イエス様”が船に乗って、このように語られた話です。


この【イエス・キリスト】の御言葉は、
【ガリラヤ】のいう緑豊かな農耕地帯に根差して語られた御言葉の典型であります。



語られる”喩え”は”農業”に関する事で、
【ガリラヤ】の人々は聞きながら、良く理解出来るものでした。

◎道に蒔かれる種
◎岩地に蒔かれる種
◎いばらの中に蒔かれる種
◎良い地に蒔かれる種

この【種】の中で無事に成長できるのは、
【良い地】(恐らく良く耕された畑)に蒔かれる種のみです。

イエス様は写真のような【ガリラヤ湖】のほとりで語っておられましたが、あまりに大ぜいの群集が寄って来たので、【船】(恐らくペテロの)に乗られ、そこから「説教」されたのです。

「道に落ちた種」
これは「畑」で無い所に落ちています。するとすぐに鳥が来て食べてしまい、育ちませんでした。
 つまり【種】(御言葉)は、道端に落ちてしまったのです。つまり何の準備もされていない通りがかりの人々に語られたのですが、すぐに”サタン”が来て取り去ってしまい、”救い”至る実を結べませんでした。

「岩地に落ちた種」=これは”イスラエル”の地肌の岩や石がごろごろした場所に蒔かれたのです。
(写真を参考にして下さい)
つまり準備出来てない地肌のままの岩地に蒔かれたのです。一応地面なので、すつに芽を出しましたが、固い岩場で根が張れません。強い日照りで焼けて(水も無いので)、すぐに枯れてしまいました。

 これは、【イエス様】が言われるように、
すぐに「御言葉」を聞いて受け入れるのです。しかし、その心は固い岩場のようで、準備がされていないので、根が張れず、しばらく続くが、
御言葉への困難(迫害他)が起きると、すぐに、つまずいて辞めてしまうのです。

しょんぼりさあどうでしょうか?”クリスチャン”の方も、あなたの心は【岩場】ではないでしょうか?

 御言葉を聞くけど、その心は固い岩場で、根が張れなくて
”ブルトマン親爺が「聖書」捏造じゃ”(笑)と言ったり、”キリストは革命家だった”とかのエセ本を読むと、すぐに「そうかもしれない」・・とつまずいてはいないでしょうか?
そんな方の心は
【固い岩場=キリストの言葉が根を張れない所】ではないでしょうか?

「いばらの中に蒔かれる種」=これは超世俗的な心に蒔かれる【御言葉】です。
(´ ω `)ノシ「良いお話だ~」と【聖書】の言葉を聞くには聞くが、世俗的な富、世の惑わしが多く(それが”イバラ”)、種は成長できません。
その為、殆ど【実】を結ばないのです。

Σ( ̄□ ̄;)ギクッかなり”耳が痛い喩え”ですね。
【口先だけクリスチャン】に超多いタイプ!でしょう。我々はともすると、まだまだ心の準備が出来てなく、世の中の事で頭が一杯で
【キリストの言葉】が単なる「口先だけ」になりやすいのです。

(ノ≧ڡ≦)てへぺろじゃないけど(笑)・・いつまでも”いばらクリスチャン”では、何年たっても
【実がならないクリスチャン】になってしまいます~。

「良い地に蒔かれる種」
【御言葉】を聞いて受け入れる人!
その人は30倍、60倍、100倍の実を結ぶ。
この”受け入れる”という事は、「聞くだけ」
「聞き流し」では無いという事でしょう。
恐らく
”御言葉を聞いて受け入れ、
実行する人”
です。

このような人を【イエス様】は
【良い地に蒔かれた種】と言い現し、それは良く整備され耕された肥えた畑に蒔かれ、大きく成長してゆく事が出来るという訳です。

これらの【イエス・キリスト】
の御言葉は、
豊かな農耕地帯である
【ガリラヤ】に根差した”教え”であり、
その土地を背景に語られた”御言葉”です。

ここでですね、【キリスト】は大工なのでは?
と疑問視される方々、
古代の”ユダヤ”では、各家は自給自足的な
”農業”(葡萄酒作り、小麦作り)を村ぐるみで行っていた
ので、本業が「大工」であろうが、「漁師」であろうが、【農業】の体験は殆どの人々にありました。

このように【イエス・キリスト】は、豊かな農耕地帯【ガリラヤ】で
しか生まれないのです。

【エルサレム】という城壁都市は”シティー”であり、農耕地は存在しません。
(神殿、王宮、宿屋、店しかない)



彼らの語るのは【律法】です。


そこの人々がこのような【教え】を語る事も
”捏造”する事も不可能であります。

これこそ、
【神の子=メシヤ】は
【ガリラヤ】にしか生まれなかったとも言えます。









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最終更新日  May 31, 2017 02:20:50 PM
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