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テーマ:障害児の親として(1435)
カテゴリ:宇宙人暴走
次女が産まれて10日目、私は無事退院した。
さすがに3人帝王切開で出産すると、かなりきつい。 回復も少し遅かったような気がする。 自宅に戻り、しばらくは実家の母にいてもらった。 2歳になったかえでは、初夏の陽気の中、一人で玄関から出て、 散歩で通る道をトコトコと、走って行ってしまうようになった。 誰とも会話もしない自己チュウなかえでは、何か目的があるわけでもなく、 とにかく放っておけば、知らん間にいなくなっていた。 靴も一人で履けないので、出るときはもちろん裸足のまま。 次女に母乳を飲ませながら、私の傍から鉄砲玉のように飛び出していくかえでを、 足で捕まえながら、髪を振り乱しての必死の育児だった。 ふといない事に気が付いた時は、オッパイから次女を引き剥がして、そのヘンに放り出して、 急いでかえでを探しに行き、連れ戻す。 1日に何度脱走しただろうか。 家に戻されたかえでは、泥だらけの素足のまま、 産まれたばかりの次女が寝ている布団の上を、ドカドカと歩いた 毎日、洗濯物が山のようにあった(今でもそうだけど^_^;)。 偏食はひどかった。 離乳食はまあまあ頑張って食べさせていたけど、だんだん食べられる物が減ってきた。 その頃から、白いご飯とふりかけ、味付け海苔、フライドポテト、お茶、ラーメン、 それくらいしか食べる物がなかった。 何処かへ出掛けたくても、食事に困るので、こちらも億劫になってしまって、 なかなか出掛けられなかった。 それに、ちょっと変わっていることを、誰かに指摘されるのが怖くて、 あまり外には連れ出さなかったように記憶している。 次女が生後2ヶ月になった頃、保健所から連絡があり、親子教室へ参加することになった。 『たけのこ教室』というネーミング。 いかにも“福祉”という感じで、嫌いだった。 きっと障害のある子のお母さんって、ダサいんだろうなぁ。 野暮ったい感じの人が多そうだなぁ。 なんか、気が重いなぁ。 こういうことに関わりたくないなぁ。 そんなことを考えながら、かえでを連れて保健所の2階へ上がっていった。 自分は、野暮ったいお母さんじゃないも~ん!と、服装も化粧もいつもより気合を入れて・・・ でもそこにいた障害児のお母さん達は、若くて底抜けに明るく、 私以上の服装・化粧バリバリのお母さんばかりだった^_^; 私の障害に対するイメージが、良い意味で崩れ去り、なんだかホッとした。 そして、毎週水曜日の午前中は、 この『たけのこ教室』でいろんな親子とふれあうことになる。 山あり谷ありの育児は、まだ始まったばかりだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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