|
全て
| 家族
| お料理
| 建物
| 天候
| 行事
| 旅行記
| イランの生活用品
| イランでの生活
| 趣味
| お店
| 病気
| 追憶
| 言葉
| 私見
| 事件、事故
| 幼稚園・就学
| 社会問題
| 夢
| 翻訳
| 楽天プロフィール
| おとぎ話 ”春”
| 短歌・俳句如きもの
| English
| ひとりごつ
| 2014来日記
| 奇譚
| 詩
| Picturesque views from my eyes
| 波風の逢瀬
| Short stories
| ジョーク
| 素描
| レビュー
| こたふこだま
| 2017年来日記
| 私のお気に入り
| 2019~2020ふゆやすみ
| バイト
| 新型コロナウィルス
| フランス語
| 螺旋 こたふこだま
| Instagram
カテゴリ:夢
IMG_3374 posted by (C)maryam f d 夢は、現世よりも 意識 が強まる世界ゆえに、 夢は、幾重もの次元とlinkしている意識による 啓示 である場合も多々ある。 こいつは知らせねば あるいは 知らせてね! っということで夢を見る場合もある。 イラン貨幣が暴落する前に、 価値があったものが、紙切れ同然になる っというイメージの夢を私は見ていたことがあった。 (この夢のことも記事にしてある) しかもそれは私に必要ではなく別の人に対する、 知らせねば あるいは 知らせてね! だったりもする。 そう言う意味では上様(異次元からの意?)は、 私の脳みそや、夢を見る という点での私の視覚を媒体にして 何かを伝えているとも言える。 夫婦や子供の場合は、最も近い あなたであるわたし であり、 家族というのは、一心同体・運命共同体 というところがあるからか、 これは私がよく あなたもわたしも元は一緒! っといっていることを miniature にしたようなものだからなのだろう、 夫が今後出会う、彼にとって(彼にとっては、私にとってになるのだが) 重要な出逢いの場合、あるいは 重要な出来事の場合は、 私を媒体にして夢の中で伝えてくることが多々ある。 一度や二度なんてもんじゃないほど! その夢の中で私は、 彼(夫)の視点や立場 で物事を眺めてもいる。 最初の頃は、おそらく私自身の予知夢か?っと思ったけれど、 登場人物や、夢の中での場所を考えてみると どうもこれは私ではなく 夫(あの人) のことだろう・・・ っと分かる。 そういう夢を夫に話すと、私よりもその夢の場面、登場人物 夢が暗示しているであろう内容を明確に理解することがほとんどで、 夢を見た私の方が、夢での場面や印象が強いので、 現世における夢の意味の想像がつかないこともある。 以前、全くお顔もしらないブロ友さんの夢をみたときも、 その方のお姿を夢見たというより、 ある場面は、私はその方の視点(カメラ)で夢の中の景色や状況をみていた。 (ただし、それがわかったのは、その人がその夢の場面で眺めていた 場所を撮影した画像を見たときに初めて理解したことだが) そういう誰かの視点と、もう一つその場全体を広く見渡している、 ある意識による視点が混在しているような夢だった。 その夢をみた1ヶ月後にその人がそれを経験したことを想うと、 私は夢の中で、確かに時間も空間も、 (所謂個人という意味の)己の枠さえも超えていたということになる。 この時夢の場面でみた場所は、日本だったが私が一度もいったことのない土地だった。 私の中の ある意識 が 一体どうして 夫や、その顔も知らぬブロ友さんの視点 と 重なるのかは未だにわからないが・・・ 意識 が多次元にlinkし、時空という壁を簡単に乗り越えられるのだろう、 っということは理解できた。 最近だと、ブロ友さんのこうこさんが 高幡不動にお参りに行かれる記事を1回拝見した頃だったか? ある夢をみていた。この夢はこうこさんに関する夢だろう、 っというのは、一度でも高幡不動へのお参りの記事を私は拝見していたので、 目覚めたときにわかっていたのだが、 しかし、一体なんだったんだろう? っと言葉にしてその夢を説明することは難しかった。 私は大学時代に確か一度だけ、今は亡き伯母と高幡不動に行ったことはあったが、 ただ、花(菖蒲だったか、紫陽花だったか?も、記憶にない(;_;))が、 美しかったのを憶えているだけで、 夢にみた場所をまったく記憶していなかったし、 夢に出てきた場面があとから判明した時も、 私は通りすがったことさえあるのか、ないのかわからないし、 記憶として残っているのは、こうこさんの夢だろう・・・ っと想って見た夢の、それも高幡不動に近いある場所というよりも”位置”だけだった。 夢にみたある場所がどこであったのかがわかったのは、 その後こうこさんが、お参りの記事の続編に掲載なさった画像の一枚を拝見した時だった。 高幡不動参道と記されたゲートの左側の一角を、私は夢でみていたのだった。 私の夢の中では高幡不動参道とかかれたゲートの左側の角に、 道祖神か何か?が祀られているようだった。 miniatureのように小さいながらも、そこにはきちんとした鳥居があり、 聖域であるちっちゃなspaceには一つの白い可憐な花が祀られていた。 不思議なことにその白い可憐な花には葉がなく、葉も複数の花で象られていた。 その鳥居があった場所から1・2軒先からは、 小川なのか?でも排水路のように、水が乳白色に濁る様に流れていて、 どうも私にその場面をみせている何か?はその川?水の流れの汚れは 人の営み、商売?のせいでそうなったというのを伝えてきていたのかもしれない。 道祖神が祀られていたところに流れるように、人が商売のために、排水路をつくったのか? あるいは元々小川と道祖神があったのか?夢では判明しなかったのだけれど、 そこにあった聖域は人の営みの中に揉まれて、姿をなくしてしまったのだろうと想う。 けれどそのかつての場所に、現在もとどまっている エネルギー は存在するのかもしれない。 それが何を意味しているのかさえ、残念ながら私にははっきりわからなかったのだが、 わからなくても良いことだと想っている。 ただ、 何か? が私にそれを伝えてきたので、 私のお役目は、それを私の言葉でこうこさんに伝えるだけなのだから。 その道祖神はこうこさんがお参りなさる姿を とても喜んで眺めていらっしゃるようだった。 清楚可憐 という言葉が相応しく、かつてそこに祀られていた何か? からは そこを追いやられ、人に自分の居場所であった聖域を消滅させられたからといって 怨念を抱いているというような意識は、私には微塵にも感じられなかった。 ただ、その場所におわしたことを、 そしてそこから こうこさんが清い心でお参りにいらっしゃる姿を嬉しく見守っている っということを伝えて欲しかったのかもしれない。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年01月22日 17時59分19秒
[夢] カテゴリの最新記事
|
|