【訪問日:2019(平成31)年1月14日(祝・月)】
※ 越谷市公式HPより
川口市、草加市との境を流れる綾瀬川は、古くは荒川の一分流でしたが、「あやしの川」ともいわれるほど上流部で川筋がいく筋にも分かれていました。「九十九曲がり」と表現されるはなはだしい蛇行は、流れが緩やかで水量が豊富であることから舟運に適し、綾瀬川舟運は埼玉と江戸・東京を結ぶ重要な交通手段として役割を果たしていました。
藤助河岸は、旧日光街道と綾瀬川が交差するという地の利を生かして、綾瀬川を代表する
河岸場の一つとして繁栄しました。
明治の近代化以降、鉄道の普及などで
河岸場がつぎつぎと廃止されるなかで、
藤助河岸は繁栄を続けました。しかし、大正9年、東武鉄道に越ヶ谷駅が設置されたのを機に次第に衰退し、事実上昭和初期に廃止されました。
現在、
藤助河岸は荷の積み降ろし小屋の一部が復元され、唯一当時の面影を伝えるものとして保存されています。
〈藤助河岸(とうすけかし)跡:埼玉県越谷市蒲生愛宕町12-4)