永遠のさよならの『アデュー』
今月半ば、旦那の叔父が逝去した。キッチンで倒れてたのをご近所さんが発見してくれて、救急車で大学病院に運ばれて10日。連絡を受けた日は義姉が、翌日に我が家が駆け付けた時はちゃんと意識があってでも、脳の内部に出血が見られて年齢的に手術ができないから数日を覚悟してくださいねと言われての面会。叔父は90歳で、さすがにここ数年は体のあちこちに不具合が出てきたとブツブツ言ってたけどそれまでは病気知らずのとっても体の強い人。面会に行ったときは、麻痺が右半分にあって言葉も長いフレーズはしゃべれなくなってたけど、握る手の力は強くて、『後のことよろしくな!』と目力と手の強さで伝えられた気がした。片道400キロの距離があるから、毎日は様子を見に行けなくて旦那姉と我が家で交代に通うこと数日後、朝の7時に病院から電話があって、朝方の巡回で看護師が様子を見に行ったら息を引き取られてましたとの連絡を受けた。幼いころに両親が早世して以来、親代わりだった叔父の死に旦那はまだメソメソしてるけど、叔父はいずれ寝たきりになる状態を極端に嫌がっていたし老人ホームに入ることもできる限り回避したいと、どんなに大変でも自分一人で踏ん張ってた人やったから、これでよかったと思う。10歳当時、ノルマンディ上陸作戦の際にアメリカ軍の爆撃で両親を亡くしそれを外出から帰ってきた彼が発見して弔って。その後は叔母に引き取られて育てられ、その後は勉学に励んである程度成功して年の離れた義理姉妹の学業を支援して。その役目を終えたと思ったら、次は不慮の事故で両親を亡くした姪甥の後見人になって育て上げ、、、古い体質と考え方の昔の男の人!って感じの人だったけど、曲がったことが嫌いで、他人にも自分にも厳しく、でも愛情深く素敵な人やった。私が関われたのは最後の3年で、もっと時間が欲しかったなーと思わずにはおれんけどでも、倒れる1週間前に会いに行って見送ってくれた時の破顔一笑した顔があまりにも素敵やったからそれを最後の思い出とできることは幸せなことやと思うことにする。葬儀の際、叔父の後輩で長く親しくしていたという人がボルドーより遠路駆けつけてくれて手紙を読んでくれた。とっても心に響く手紙で、我慢してたけど、最後の一言で泣いてしまった。『アデユー、ミシェル。でも、またすぐに空で会いましょう。』