カテゴリ:シネマ/ドラマ
寄る辺なき二羽のインコを肩に乗せ水島上等兵は佇ちにき につぽんにともに帰らう水島と戦友ら叫べりビルマの大地 (拙作) © Nohara Sakamoto 2008 All rights reserved. とうとう来るべき時が来てしまった。 日本映画を牽引してきた巨匠だった市川崑監督が、昨13日死去された。 享年92歳の大往生だった。 この場をかりてご冥福をお祈り申し上げます。 大ファンだった。主要な作品はかなり見ているし、1973年の「股旅」(萩原健一主演、谷川俊太郎脚本)以降は、リアルタイムでほとんど全部見ていると思う。 誰からも尊敬される不世出の天才監督だった。 しろうと目にも明らかな失敗作・凡作もあったが、いわゆる失敗作であってさえ、どの作品にも鮮烈でスタイリッシュ、グラフィック、モダーンでフォトジェニックな映像美と実験精神が脈打っていた。 自然なユーモアがにじみ出て軽妙洒脱でありながら、時に重厚深刻でもあり、変幻自在。 映画の底知れない面白さと美しさに酔わせてくれた。 ここ一番に強かった。ここぞという時は、けっしてハズさなかった。 「東京オリンピック」(1965)という空前絶後の大舞台で、見事映像的実験と前衛感覚の「市川節」満載で、自分のスタイルを貫いて見せた。 この作品の観客動員数1800万人(!!!)は、日本映画史上断トツトップの不滅の記録で、未だに破られていないし、今後も破られることはないだろう。 「ビルマの竪琴」(1956/1985自らリメイク)、「細雪」(1983、谷崎潤一郎原作)は、それぞれ思い出しただけでウルウルしてくる。 「炎上」(1958、三島由紀夫原作「金閣寺」)では、貴公子のような大スターだった市川雷蔵に、驚くほどいじけた内向的な現代青年を演じさせ、その「内なる辺境」の寂寥が「絶対的な美への嫉妬」の爆発となるまでを緻密に描き、雷蔵の代表作とした。 折りしも、ソウルでは韓国国宝第1号の南大門が放火され炎上するという事件が起こった。 引き続き雷蔵との市川コンビで望んだ「ぼんち」(山崎豊子原作)も関西「母系制社会」の中に置かれた男の悲喜劇を“重厚洒脱”に描いて見せた。 「犬神家の一族」(1976)に始まる金田一耕助シリーズは、もはや晩年といっていい巨匠が、満を持してそのテクニックを思う存分発揮した連作で、毎回本当に楽しかった。 やりたいことはすべてやった幸福な一生だったと言えるのではないだろうか。 その反面、一貫した(政治的ないし思想・哲学的などの)テーマやメッセージ性は希薄だった。 あっても、それは「映像言語」として伝えられ、明瞭ではなかった。 いわば、テーマがないのがテーマであり、それは本人の意識的なポリシーだったと伝えられる。 そういう意味でも大人だったといえる。 あえていうなら、プチ・ブルジョワジー(小市民)的なコモンセンスを基軸にした、ごく穏健な立場だったと思われる。 市川監督の斬新な感性がもたらした影響は、映画・映像に留まらず、きわめて広範囲に及んでいると思う。岩井俊二監督、ピチカート・ファイヴの小西康陽のみならず、崇拝者は数多い。 僕も一ファンとしてその末席を汚す一人だ。 私生活のライフスタイルでもダンディ居士であり、舶来物を偏愛するモダニストだった。 いつも飄々としていて、周囲には笑顔が絶えなかったという。 本当に、最後までカッコいい人だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 14, 2008 06:28:02 PM
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