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テーマ:運命の出会いって!?(266)
カテゴリ:東欧☆じぶん研究
母の影響のことに気付いたのはつい最近です。一ヶ月ほど前。 祖母が亡くなった少し後だったので、これも祖母のヘルプなのか? なんて思ってみました。 ボーリャのヘルプで結婚の問題が解明したのに続く、自分自身の問題の解明です。 結局これらはつながりがあるものなので、セットでの解明となったようです。 ボーリャのおかげで、これまでコチコチに固められていた頭が、氷が解けたみたいに柔らかくなり、 氷の奥に隠れていた自分まで解けてトローリと出てきました。 出てきた自分を見ての最初のリアクションは、「ええっ!」、 ショックでした。 それから2、3日はその「本当の私」に自分を戻すプロセスに入ります。 すっかり忘れていた自分を思い出すのです。 記憶に残っている過去のパーツを一つ一つ丁寧に思い出します。 先日も書いた、6歳くらいの頃母が週末に出かけていくときの悲しかったこと。 あれは、鮮明に記憶に残っているだけに私には大きなショックだったのです。 この記憶から「私は母に裏切られた」ことに気付きました。 あれだけ尊敬していたし好きだった母だけど、私のほうは対等には好かれていなかったんだって気付きました。 ひとしきり泣きました。 そしてもうひとつ、すごく内気で恥ずかしがりやだったこと。 小学校、中学校、高校...といろんな場面でそういうことがありました。 特に、好きだった男の子とは一言も話せないくらい恥ずかしがりやでした。 好きでない男の子だって同じでしたが。 頭はパニック、心臓ドキドキで顔も真っ赤になって...、 なのでとても近寄れなかったです。 そんなみっともないのを見られたくないし。 それにいつも心配だったのが、「こんな感じで将来彼氏とかできるの?結婚とかできるの?」です。 だって彼氏とか結婚って、好きな人とするものでしょ? 好きな人とまともに話せないんじゃ、恋人同士になるのも無理だ! そんなだったのに自分自身信じられなかったのが、いざ高校を卒業して親から離れて生活を始めたら結構すぐに彼氏ができたこと。 このことは自慢しているわけでもなく、嬉しいわけでもないです。 だって付き合った人は、本当に好きなのか自分でもよく分らなかったからです。 その時は好きだと思っていたけれど、後から考えたらそうでもなかったです。 最終的に嫌な感じで別れたですし。 とても私に相応しいとは言えないような人と、まるで自分を投げ出すように付き合いました。 次に付き合った人もそうでした。 ぜんぜん心から幸せだって思ったことなかったです。 よく考えてみれば、 私の本当の希望は、心から愛する人に私の全てをあげて尽くすことなんです。 その点、私ってすごく古風なんです。 そんな古風な私なのに、幸せだって感じれない人に自分を投げ出してきました。 これってとても信じられない行動です。 自分でも理解できなかったです。 その謎もやっと解けました。 今までずっと理解できずにある意味苦しんできたことなので、やっと分った今はスッキリして清々しいです。 これも結局は母のことから来ています。母が原因です。 母が私の性質を受け入れてくれなかったこと、これが影響しています。 どういうことかと言うと、 母が本来の私を否定したことで、私は自分の価値というものを見失ってしまってました。 私には母に好かれる価値がない人間なんだと信じてしまってたのです。 「価値」を得るために母に好かれるような人間にならないといけなかったですし。 あんなに「好きな男の子にはとても近寄れない」はずの私なのにどうでもいい男性と付き合ったのは、まるで価値のない私を捨てるような行為だったと分りました。 「価値がない」と信じてしまい、自分自身を大事にすることを忘れてしまっていたのです。 それに結局は、親からの愛情、特に母親からの愛情に飢えていたのでどうでもいい人でもいいから愛情を得たかったのだと気付きました。 そんなバカなことあり得るのか、と思われるかもしれないですが、 そういうことって充分あり得るんです。 とくに子供の頃から大きなストレスを強いられた場合、 ストレスからの逃げ道を探して変な方向に走りやすくなってしまうんです。 それが明らかな場合、 例えば小さいときから親の暴力が激しかったとかなら、子供が成長して問題が出た場合判断もしやすいし治療や対応も適切にできるでしょうが、 私のような、一見全てが問題なく穏やかな場合、一見問題がない場合、 周囲はもちろん本人だって問題に気付きにくくなります。 本人も含めて誰もが「完璧な生活だ」って信じてしまいます。 唯一、「完璧なのになんか幸せじゃないな。」って心のどこかで考えるくらいです。 でも奥深くに問題を抱えているので、いずれそれは表に出てきます。 人生に欠陥的な部分を作りはじめるんです。 もし、「一見まったく問題ないのに、なぜか幸せじゃないな」と時々感じている方がいましたら、自分を見直してみることをお勧めします。 どこか奥深く、自分でも忘れてしまっている部分に、ずっと昔に見失ってしまっていた自分を発見できるかも知れないです。 そんな自分発見ができたらもうこっちのものです。 本当の幸せを探す可能性を掴んだようなものです。 私の自分発見が進むにつれて大きな収穫がありました。 それは、 私に影響を与えてきた周りの人達の欠点が理解できるとともに、 私自身の欠点も見えるようになったことです。 自分の欠点を心から認めるのがすごくいいことだって気付きました。 というのは、自分の欠点をはっきり知ればそれを改善することができるからです。 単純にです。 欠点を認めることってまるで自分の一部を否定しているようで抵抗を感じますが、結局は欠点なのだから最初から否定的な要素を持っているもので、それを改善することは悪いことではないです。 自分の欠点を認めるのって悔しいけれど、そこをがんばって認めて改善するほどすっきりなことはないです。 改善して一歩成長するとその後とても得します。 得するしラクです。 だって欠点は改善しない限り、その人の中で矛盾として永遠に留まってしまうから。 矛盾があると、人生もスッキリした真直ぐな道でなくなり、クネクネとカーブが出てきてしまいます。 失敗やトラブルも度々あるでしょう。 自分の悪い部分を認めて改善に努めれば、道だって徐々に真直ぐになるでしょうね。 つづく...、 ブログランキングに参加しています! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.07 12:24:22
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