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テーマ:運命の出会いって!?(266)
カテゴリ:東欧☆じぶん研究
結局は母も私と同じような生き方をしたのだと分りました。 小さいときに祖母が死んでしまって、3歳の心にぽっかりと開いた穴は誰にも埋められません。 それは祖父にも無理です。 それでも生きていかなければならないので開いた穴に自分でフタをしました。 殻の中に自分を閉じ込めたのです。 殻を頑丈に保つことで表面では強く生きることができました。 「私は平気、大丈夫。」って信じてきたのです。 どうやら母の殻は頑丈すぎて父にすら砕くことはできなかったようです。 一生その殻から出ることはできませんでした。 そういうチャンスは何度かあったのですが、母はそれに気付かないで過ごしたようです。 私がすぐ側にいたのにね。 母に足りなかった愛情は自分の子供からもらえることだって出来たのにね。 それに気付かずに、というかそんなことが可能なんて信じてもなかったようです。 一方父はそういった辛いことはほとんど皆無の人生を送ってきました。 祖父母はわりと長生きしたし、仲良し夫婦だったし。 親の愛情たっぷりで育ったし。 一人っ子だった母とは違って4人兄弟で育ったし。 だから父が家族に愛情をたっぷり降り注ぐことができたのも納得です。 以前も書いたように家事や育児に多く携わってきました。 でも不思議なことがあります。 子供が成長したら、父とのつながりってそんなに強くもなくどちらかと言えば希薄な感じになってしまったのです。 兄はずっと東京暮らしだし(←完全に東京弁)、 弟はずっと大阪暮らしだし(←完全に関西弁)、 私はずっと外国だし(←完全に九州弁)。 父が愛情たっぷりで育ててくれたのを知っていますから、いつも心苦しく思っていました。 それは兄も弟も同様だと思います。 不思議なのだけれど、なんだか父に対する親近感が足りないのです。 あれだけ私達の世話をしてくれたのにね。 たくさん抱っこしてくれたり、一緒に遊んでくれたり、ご飯作ってくれたり、毎日宿題を見てくれたり...。 普通だったらそれはそれは親子の繋がりの強い家族になるでしょう、当然。 でもそこまででもないんです。 最近その謎もようやく解けました。 ボーリャのヘルプで始まった自分発見ってものすごいパワーがありますね。 殻の中に入ったままの母は自分のやり方で生きてきました。 バリバリできるキャリアウーマンといった感じで。 ちょっとじゃじゃ馬な感じの人でしたし。 父と母のバランスが取れていたのは確かです。 母が苦手なことを父が見事に受け持っていたし、 母が病弱だったけど父が頑丈健康体でしたし。 母が子供にあげれない愛情の分を父がたっぷりあげれたし。 でも、子供にとっては必ずしも良いわけではないです。 子供は両親から平等に愛情をもらわなくてはいけないのです。 父からはたっぷり愛情をもらえても、母から愛情をもらえないのはとにかく悲しいことです。 兄も弟も同じだったと思います。 私達兄弟にとって、一番大事なのは母が父のように愛情を降り注いでくれること。 そうすることが出来るのは父だけです。 父が母に働きかければそれが可能でした。 でも殻に閉じこもったままの母ですし、そのことを自分でも気付いていません。 父もはっきり気付かなかったのでしょう。 母が家族に愛情を降り注ぐように変えることの可能だった父ですが、それが出来ませんでした。 ある意味失敗に終わったと言う感じ。 私達兄弟にとって唯一の望みだったのですけどね...。 そんな感じで私達と父の間に壁みたいなものがができてしまったんだ、って気付きました。 父も結構苦労してきたのでしょうね。 子供たちがかわいそう、って度々思いながらもどうにもできなかったに違いないです。 ブログランキングに参加しています! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 01:05:15
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