中山道 上尾宿〜浦和宿 参道は古い中山道
2023年11月25日 土曜日 天気 晴のち曇スタート8:30 ゴール15:003日目 15k 北上尾駅〜2k〜上尾宿〜7.8k〜大宮宿〜4.9k〜浦和宿2泊3日の区切りの中山道歩きも最終日、あっと言うまですが、私の足にはこの位が丁度です宿のザ・セレクトン北本駅前店は本当に駅真ん前、この辺りには宿が少ないのでありがたい宿でした安いうえに、夜なきラーメンのサービスがあり、大風呂があり、ちょっと水道管の音が気になりましたが、寝てしまえばへっちゃらです昼から天気が下る予報、さてどうなるでしょう2k歩いて上尾宿ですここは日本橋から一泊目の宿、遊興地で飯盛旅館が多く賑わったそうだが、1860年の大火でほとんどが焼失し面影はありません〜氷川神社〜8k歩いて大宮宿 車道沿いには商店が並びこの辺りは歩道が多くて歩き易いですねコロナが五類になって、中山道を京に向かって歩く人が増えています20人ほどのグループの初老の方々にすれ違いましたが、背中は小さなリュックなので日帰り歩きですねそういえば、この辺りはやたらと床屋💈美容院が多かったのです、不思議ですね大宮宿には平安時代から続く武蔵国一宮の氷川神社があります今回の区切りでは、氷川神社と荒川の土手が心に残ってます旧中山道164号線を左に曲がり裏手の大宮公園から神社に入りました境内は七五三参りの親子がいらして華やかです江戸時代初期までの中山道は神社の参道を利用していました参道を街道にすることは恐れ多いとする宿の意見を受けて、関東郡司が1628年西側に付け替え、参道沿いの宿や家40軒を新しい街道沿いに移転させましたこれが今の車道となり、大宮の名は神社の参道から始まったと言われてます大宮宿は本陣2軒、脇本陣9軒参道は2kと長く、30種類700本近い樹木があり、江戸時代は松が多く、明治からは杉、最近は汚染に強いけやきが多いとか参道の両脇に樹木、その外側に車道や住居・店舗が並んでますこの頃はまだ紅葉が残っていて気持ちよく歩けました〜一の鳥居〜二の鳥居で西側に並行する車道の中山道に移動しますこちらは商店街になっていてとても賑やかです大宮では是非うなぎ!と思っていました何件もあるお店の中から選んだのは<小室屋>さんこじんまりしたお店を優しいご夫婦が営んでますこの日は奥さんが出かけていて、ご主人ひとりで回してました長く待つ時間も気にならないお店の雰囲気です関東の蒸してから焼くうなぎは、西の生から焼き上げるうなぎとは全く違う口当たり柔らかくて口の中でクリームの様にとろりと溶けていくようですさいたま都心駅には日本最大多目的ホールのスーパーアリーナがあります開発された町ですね、歩道も整備されてます〜一本杉〜 都心に行くにしたがって、昔を偲ぶものは更に減っていきます石碑石仏はどこにあるのだろう…歩道に不似合いな見落とされそうな一本の杉の木、父の仇討ちが行われた場所で、幕末最後の仇討ちとして有名ですが、かろうじて…と言う感じですこの先は線路づたいから離れるので、今回は浦和駅でお終いにしました浦和宿の後は、蕨宿、板橋宿、そして日本橋です次回は春、中山道上り篇を上がる予定です