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みちのくはじめ@ Re:被災地支援(01/07) こんにちは。みちのくはじめです。 私たち…
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2004.12.23
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カテゴリ:日替わり日記
住居


一葉は丸山福山町に移ってきてからの十数ヶ月間に「おおつごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」と矢継ぎ早に作品を発表し、いずれも高い評価を受けています。
そして、辛口の評論で鳴らしていた『めざまし草』の大物三人「三人冗語」で森鴎外・幸田露伴・斎藤緑雨の三人が一葉の才能をそろって絶賛します。
なかでも文壇きっての皮肉屋として知られていた斉藤緑雨の評価は高く、自ら何度も一葉を訪問し、何かとアドバイスもしています。一葉も緑雨のなかに自分の性格に共通する思想性を感じ、自分のめざす文学の理解者と認めていましたが、一定の距離を置いて緑雨に自分の本音までをさらけ出すことはありませんでした。

恋淡き一葉が、半井桃水と決別した直接のきっかけは、萩の舎の主宰中島歌子の強いアドバイスによるものですが、実は、一葉は桃水が別の女性を妊娠させたという噂を耳にして失望していたのです。そして、吉原や銘酒屋に通う男たち、久佐賀等との触れあいは、一葉に一種の男性不信の根を潜在させてしまったのかも知れません。
ところが、桃水の妊娠事件はのちに事実誤認だったということがわかりますが、桃水がつよく否定しなかったこともあり一葉のなかに生まれた不信感は消えませんでした。
一葉晩期に近い日記に、「我れは女なり、いかにおもへることありとも、そは世に行ふべき事か、あらぬか」(「みづの上」日記 明治29.2.20)と書いています。
いつしか陽もおち執筆もままならない暗闇のなかで、文机に頬杖をついて、一葉は女であることの懐疑に思いをめぐらす。

夢の中では、自分の考えを自由に言ったり理解して貰えるのに、現実の世では言ってはならない事や、言えない事があまりに多すぎる。自分の思いを真に理解してくれる友がいないのは自分が女だからだろうか、と一葉は自問するのでした。
少女時代に、女に学問は不要とされた母の意見。女世帯であることの生活の苦しみ、女ゆえに数々の夢を捨てざるを得なかったこれまでの道程、常に女であること、人であることの意味を問い直してみる一葉でした。

この頃、一葉の作品が下層社会の女性を主人公に生き生きと描かれていることに感興を抱いた副島八十六が訪ねます。そこで一葉のなかに芽生えつつある女に生まれたゆえの貧しさや理不尽を聞かされた副島は、一葉とともに「下層社会の女性の救済」について何度か話し合いをもちます。一葉は貧困ゆえに身売りさせられる女性たちを救済することはできないかと、そのための事業を考えはじめます。
平塚らいてうらの手になる「青鞘」など女性解放運動のはじまる実に10年も前のことですが、まだ一葉には事業を立ち上げるための資力もありませんでした。
この頃は、一葉奇跡の14ヶ月といわれ、薄暗く貧しい環境の中から、つぎつぎと名作が生み出されますが、夕鶴のつうをみるかのごとく鬼神が乗り移ったかのように書き続け、そして名声を聞きつけてさまざまな人々が押し寄せるように一葉を訪ねています。なかには自作品の添削を申し出るものや、恋文を届けるものなど、僕の力では整理し切れません。一葉は自分のできる範囲でそれらにも精一杯応えていますが、対応がぞんざいだと不満を漏らす輩までおります。そんな生活のなかでしだいに体力が消耗されていったのです。
そうしているうちに、春になると一葉に病の兆候が現れ始めました、肺結核です。
7月には亡父の八年忌に妹くにと築地本願寺に墓参したとの記述がありますが、7月22日で日記は途切れております。
一葉もいよいよ耐えられなくなって、8月上旬に診察を受けますが町医者からは手遅れと言われます。そんななかでも来客はつづきます。10月には病気のことを聞きつけた森鴎外等の紹介で、名医青山胤通の往診を受けますが、すでになすすべもなく絶望を告げられるのでした。
11月3日、『文学界』の仲間等が見舞いに来て励ましますが「此次ぎあなたが御出になる時には私は何に成って居りませうか、石にでも成って居りませう」と力無く答えたといいます。
明治29年11月23日。一葉は24歳7ヶ月の命を閉じました。けなげにも美しい一生でした。




地球















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Last updated  2004.12.25 10:18:41
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