Jackは20代の青年、ALT(外国語指導助手)としてカナダから日本に来て、伊那の高校で教えている。
昨年の初春に一緒に松江に旅をしたことをきっかけに、友人となったのだがまもなくカナダに帰ることになり、語り会う機会をもった。
シェイクスピアのテキスト(独白)を読みあうという、ちょっと日本の青年では考えられない大人の趣味をもつ。
彼に、教えた日本の高校生の印象を率直に聞いてみた。
教室で質問をすると、(答えをもっているハズなのに)手をあげない。応えない。これはカナダの高校生では考えられない。
(指名すると)正解を言わないと気が済まないようだ。なぜ、間違ってはいけないのか?
つまり、積極性がない。学校だから、知らないことは恥ずかしいことではない。キャッチボールを交わすことで、答えを導き出す力がつくのではないか。
というのが彼の言い分だ。そして、議論が深まりそうな話題からは避けたがる。ことに、高校生になったら国の政を語り合い、自分の思考力を耕すべきなのに、なぜ、政治を遠ざけたがるのか、自分たちのことなのに避けるのって、疑問だ。
政府批判することを異端者のように扱うのも、不思議。だって、若者ってそういうものではないのか。大人になるに従って、政治の仕組みも判って(政権に)理解を示すようになるのならともかく、最初から声を出さないのは何故?
どれも、もっともな意見だと思った。
彼は20代なのに、古典文学を読んだり、日本の文化に興味をもって、全国のみならず出かけて、見聞きしている。
恥ずかしながら、ぼくの近辺には、彼ほど社会のことや古典文学を語ることのできる日本の若者は殆どいない。
「日本のここが凄い!」というようなテレビ番組を見かけるが、単なる自慢したがりのおバカちゃんにしか見えないのではないだろうか。
日本人は、日本はどこへゆくのだろうか?
ちなみに、彼は母国に帰ったら、高校の教師になって、日本とのbridgeになる若者を育てたいという。
日本に、架け橋の一方になる若者が、どれほど育っていくのだろうか。