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むらきぃの司法試験受験勉強記

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2018.07.20
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カテゴリ:刑法の教材
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↓※追記※↓

【はじめに】

この記事は,基本書選びの基準としての行為無価値論と結果無価値論について書かれたものであるため,行為無価値論と結果無価値論の対立とは何かについては,触れる程度にしか書かれていません。

もっとも,行為無価値論と結果無価値論の対立とは何かを知りたくて本記事に辿り着いた方もいらっしゃるでしょうから,そういった方の便宜のため,ここに刑法における違法性についての説明を補足しておきます。


《刑法における違法性とは》

「構成要件該当性,責任と並ぶ犯罪成立要件をいい,処罰に値する害悪をもたらし,法的に許容されないことを意味する(可罰的違法性)。違法性の概念をめぐっては様々な理論的対立がある。現在では,責任なき違法の観念を肯定するいわゆる客観的違法論(これに対し,責任ある者の行為についてのみ違法性を認めるのが主観的違法論である)と,違法性は単なる形式的な法規範の違反に尽きるものではないとしその実質を問題とするいわゆる実質的違法論(⇒実質的違法性)が支配的となっている(形式的な法規範違反のみを問題とするのが形式的違法論であり,条文の根拠がない限り違法阻却を認めない)。実質的違法論の立場からは,超法規的違法阻却(⇒超法規的違法阻却事由)が認められる。判例も,実質的な超法規的違法性判断の考え方を肯定している(最決昭和39・12・3刑集18・10・698〈舞鶴事件〉)。現に争われているのは,違法性の実質の理解である。すなわち,違法の実質を法益侵害ないしはその危険(これを結果無価値と呼ぶ)とする結果無価値論と,違法の実質は結果無価値には尽きず,結果無価値とは区別された行為の無価値性(これを行為無価値と呼ぶ。その概念は必ずしも一義的に明確ではないが,行為の反倫理性などを内容とする。社会観念上是認されることを意味する社会的相当性の概念も,同様の趣旨で言及される)が含まれるとする行為無価値論が厳しく対立し,刑法の諸問題の解釈にあたり論争を繰り広げている。」(太字・下線は筆者による)(金子 宏・新堂幸司・平井宜雄 編集代表『法律学小辞典』[第4版補訂版](有斐閣,2008)32頁以下)

↑※追記※↑


刑法の本は,司法試験の受験勉強に用いるような基本書であれば,必ず行為無価値論と結果無価値論のいずれかの立場から著されています。

以前,​旧訴訟物理論と新訴訟物理論​についての記事を書きましたが,これは民事訴訟法の中の1つの論点に関する問題でした。

しかし,行為無価値論と結果無価値論の対立は,違法性の実質をどのように捉えるかという刑法学の根本的問題であって,いずれの立場を採るかによって刑法全体に影響を及ぼす性質のものであるため,訴訟物論争と同列に語ることはできません。


では,刑法の基本書を選ぶうえで,行為無価値論と結果無価値論のいずれかの立場を選択しなければならないのでしょうか。

少なくとも,私はその必要はないと考えています。

実際,行為無価値論を採っている​『刑法総論講義案』​と結果無価値論を採っている​西田典之『刑法各論』​の組合せは,総論と各論で立場は異なりますが,司法試験の受験界では比較的メジャーなセットとして認識されているはずです。

​​

逆に,総論を結果無価値論,各論を行為無価値論という組合せは,あまり聞いたことはありませんが,例えば,​山口厚『刑法総論』​と​井田良『講義刑法学・各論』​をセットで使っても,受験勉強に取り組むうえで支障を来すことはおそらくないでしょう。

​​


また,違法性の実質を行為無価値と結果無価値のいずれかの要素で割り切って理解するのも妥当ではないと思います。

この点,最高裁判所が行為無価値論と結果無価値論のどちらの立場を採用しているかを明言したことはもちろんありませんが,基本的に判例・実務の立場から記述されている​『刑法総論講義案』​では,行為無価値論と結果無価値論に関して以下のように述べられています。

若干長いですが,該当箇所を引用します。

「今日,刑法上の行為規範は,すべて何らかの法益保護を目的としている。したがって,法益侵害又はその危険という要素が違法性の基礎的部分を占めることはむしろ当然のことであって,違法性の実質が結果無価値の一面を有していることは明らかである。
 しかしながら,他方,結果無価値のみによって違法性の実質をすべて説明し尽くせるかどうかは疑問である。例えば,故意の殺人行為と過失の致死行為とでは,被害者の生命の侵害という結果無価値的観点からは何らの差異もないはずであるが,この場合の違法性を同一に考えることは我々の法感覚に明らかに反するであろう。また,虚偽公文書作成罪(刑156)と公正証書原本等不実記載罪(刑157)とでは,法益侵害性に差異はないはずであるが,公務員を犯罪の主体とする前者の方が一般人を主体とする後者よりも刑が重くなっていることの説明は,法益侵害以外の観点を持ち出さずにはこれをなし得ないであろう。このように,現行刑法そのものが,既に違法性の決定に法益侵害以外の要素,特に社会倫理的な観点をも取り入れていると考えざるを得ないのである。その上,多くの利害が複雑に絡み合う現代の社会においては,単に法益の侵害又はその危険という結果無価値的側面にのみ目を向けていたのでは,行為の違法性を適切に判断することはできないのではないだろうか。
 このように考えると,違法性の実質としては,結果無価値の要素と行為無価値の要素を共に否定することができないように思われる。行為の違法性を検討するに当たっては,結果無価値的観点から法益侵害又はその危険の有無の検討を行うとともに,他方,行為無価値的観点から法規範の基礎となっているところの社会倫理秩序に反しているか否かの検討を行うという二元的な方法により,両者をともに考慮してこそ真に適切な違法性判断をなし得るのである。」(​『刑法総論講義案』​[三訂版]160頁以下)

このように,判例・実務は違法性の実質を行為無価値と結果無価値のいずれかの要素のみで捉えているわけではなく,むしろ二元的な捉え方をすべきという理解を示しています。


それでは,刑法の基本書はどのような基準で選ぶのがよいのでしょうか。

ここからは個人的な見解になりますが,私は,以下の2つの基準を満たしているのであれば,あとは各自の好みで選んでよいと考えています。

①判例について必要十分な記述があるか

司法試験および予備試験では,短答式試験ではもちろんのこと,論文式試験においても判例の知識を問われます。

したがって,受験勉強に堪えうるだけの必要十分な判例に関する記述があるかどうかが,基本書選びの第1の基準になると思います。

②過度に少数説・独自説に傾倒していないか

短答式試験では有力でない少数説や独自説についての知識を問われることはおそらくないため,そのような見解についての記述があっても受験勉強の観点からはあまり意味がありません。

また,論文式試験において少数説や独自説に基づいて答案を書いた場合,合格に必要なだけの高い評価を得られるかどうか予測できないため,やはりリスクがあると思います。

研究者を目指すのであれば話は別ですが,実務家登用試験である司法試験の合格を目標とするのであれば,受験勉強の教材としては穏当な判例・通説の見解を基調として記述されている基本書を選択するのが無難なのではないでしょうか。


なお,総論と各論で行為無価値論と結果無価値論の立場が異なってもよいというのは,基本書選択レベルでの話です。

言わずもがな,論文式試験では,1通の答案の中に行為無価値論と結果無価値論が混在していて一貫性がない解答を書いていては,高い評価を得られないのは当然のことだと思います。


次回からは,刑法の教材を紹介していこうと思います。


それでは。





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Last updated  2021.01.27 20:45:00
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