薬物依存と向精神薬
薬物依存といえば皆さんドラッグを想像されると思います。薬物依存は名前の通り『薬物を依存する』という意味なのです。つまり、私も言ってしまえば薬物依存者です。薬物の怖さを私はちょびっとだけ知ってる。薬物の快楽を私はちょびっとだけ知ってる。私が今も服用している向精神薬。パキシルマイスリーロヒプノールレキソタンヒルナミン....etc私は今まで多くの向精神薬を飲んできました。私が精神科へ行って一番最初に処方されたのが睡眠導入剤マイスリーでした。今は薬慣れしてしまったこの身体ではマイスリー2mgなんぞ効きません。でもあの頃の私の身体にはその薬は十分すぎる効き目を発揮してくれました。浮遊感や何もしていないのになんか楽しいといった変な感じ・・。私はあの感覚が最初は気持ち悪かったけどどんどん好きになっていきました。でも別の薬も多々服用しすっかり薬に慣れた身体にはその快楽感は薄まっていく一方でした。それはそれで私は「薬が身体に慣れたんだな」と思っていただけだったのですがある日多くの睡眠薬を処方されていた時にべゲタミンAを一錠だけ飲んだ記憶しかなく翌朝を迎えていました。起きたのはいつも通りの昼過ぎ、普通に父と母のいるリビングへ行ったら母と父に「大丈夫か?」と言われ「何が?」と聞き返しました。あの時、父も母もゾッとしたと思います。話を聞くと母が仕事から帰ってきた早朝5時すぎに私は母に「私の部屋に居た妖精は見ませんでしたか?」と言ったそうです。それと誰も座ってない椅子を前へ後ろへ引きながら従妹の名前を呼びながら押していたそうです。私はそれを聞いてゾッとしました。その時は薬の管理を自分でしていましたが私は無意識にODをしていたのです。おそらく最初に薬を処方されたあの快楽を体験したくて身体が勝手に飲んだのでしょう。それから薬は母に管理してもらうようになりODはしなくなりました。自分でも無意味な行動はしたくなかったのでホッとしていたのですが何回か薬をどこからかもってきて無意識のうちにODをするという行動をするようになりそのたびに「またか」ともう当たり前のように朝を迎えていました。私が始めて薬は怖いものだと体験したのはこの事です。身体がはじめに処方された時の快楽を覚えていて心の中で分離したもう一人の自分が勝手に薬を探しあさり、これでもかと言わんばかりに飲むのです。それが自分の身体を壊す事だと解っていても、もう一人の私は辞めませんでした。中学3年になって薬への執着はなくなりました。そのかわり手首への自傷行為が酷くなりましたがその話は今はおいておきましょう。今、問題になっているパキシルを私はMAXで服用しているわけですが一日でも飲み忘れるともう寝たきりになってしまいます。頭痛とふらつき、吐き気、気持ちの悪い浮遊感。これは完全にパキシルに依存しているという事になるのです。私は『薬物依存』といえば『自分』という答えを繋いでいます。『薬物依存』は凄く身近なもので、簡単に言えば喘息の人が咳止めの薬を肌身離さず持っているのも薬物依存になるのです。今、この日記を閉めようと思ったけど、どう閉めていいかわからなくなってきた・・・。どうしよ?(´,_ゝ`)プッまぁ私が言いたいのは『薬物依存=ドラッグ って考え方おかしいんとちゃう?』という事を言いたかったのでした。おわり!!!!