八幡社 (中村区栄生町)
地下鉄東山線「本陣」2番出口から北へ徒歩10分程。中村区栄生町の住宅の立ち並ぶ一画に八幡社の杜が見えてきます。社頭全景。東西に長い社地を持ち、東向きに社頭を構え、参道は西に続きます。社頭は見ての通り間口が狭いのですが、船の舳先のように奥に向かう程幅が広くなっていきます。左手には街中にしては珍しい、松の老木が空に向かって真っすぐに聳えています。社頭の右側に「村社 八幡社」の社号標(寄進年未確認)、その先に一対の常夜灯と一ノ鳥居と続きます。提灯櫓から参道を見通す。住宅街に長い社地を持つことから、参道中ほどには公道が横切っており、一ノ鳥居のあるこの一角は離れ小島の様に分断された格好です。一ノ鳥居は石造の明神鳥居で大正12年(1923)に寄進されたもの。連日季節外れの暖かさが続いたが、12月に入り一気に冬到来となり、参道に植えられた桜も冬支度がはじまり彩りが少なくなった。一ノ鳥居の八幡社額。鳥居を過ぎると公道が横切っており、道路の先が社殿のある境内となる。車の往来があるので横断時には要注意だ。公道に面し提灯櫓があり、そこから先の境内に木造の明神鳥居と蕃塀があり、左に手水舎がある。八幡社は史跡散策路日比津・大秋の里散策コースの一つになっているようで、その概説は以下のようなものでした。「慶長15年(1610)、今市場(現・名古屋城敷地内)といった所にあったのを、名古屋城築城に際して、普請奉行の1人、佐久間河内守がこの地に移したと伝えられます。広い境内にはクロマツ等の古木が多くあり、また、遷座当初のものといわれる元和2年(1616)の銘の燈篭もあります」とあった。境内には由緒は掲げられておらずこの概説が頼りとなります。笠木の造形が綺麗な木造明神鳥居と蕃塀。手間はかかるけれど温もりのある色合いは木造ならではのもの。木造の手水舎と手水鉢、龍の姿もある。威厳があり、なかなかいい姿をしている。参道には更に提灯櫓が建てられており、4つの提灯櫓があり、それらに提灯が架けられ、幟旗や紋幕で飾られる祭礼の時はさぞかし華やかな事だろう。境内はこの先から横に広がり境内社や社務所が建てられています。参道右に堆く岩が積まれた岩山がある。山丸三の紋は御嶽神社。山の頂には御嶽神社、右に猿田彦大神、左に三笠山神社、麓には不動明王や複数の霊神碑が建てられています。創建時期等は不明。社殿全景。切妻瓦葺の妻入り拝殿は左に渡廊で舞殿と繋がっており、どちらも吹き抜け。境内には神社の歴史を語るかのように、見上げるばかりの樹々が聳えています。拝殿から幣殿、本殿方向の眺め。幣殿へは渡廊で繋がり、渡廊の両側に一対の狛犬の姿がある。渡廊の両脇で本殿域を守護する狛犬(寄進年不明)拝殿右側の境内社。左の一間社流造の社は熱田社、金刀比羅社、天満宮の三社相殿。創建時期等は不明。その右が八幡稲荷神社。近年建替が行われたのか、朱も鮮やかな鳥居が連なる。八幡稲荷神社の本殿。本殿扉の前に遣いの白狐の姿がある。社務所前に聳えるクロガネモチ、葉は落ちて艶のある木肌と広がった枝が露わになり冬支度を終えたようだ。社務所左脇に板宮造の津島神社が祀られています。創建時期等は不明。社殿後方から眺める八幡稲荷神社本殿の全景。手入れされたこともあるのだろう朱が鮮やかだ。創建時期等は不明。八幡稲荷神社の脇から八幡神社社殿全景の眺め。こうして見ると幣殿は切妻平入で左右に脇殿が付くようで、覆殿の棟には5本の鰹木と外削ぎの千木が付くもので、内部に納められる本殿の姿は不明。この八幡社について、名古屋市史の村社の一覧、尾張誌、西春日井郡誌、那古野村絵図など目を通すも、今市場から遷座したとある八幡神社には辿り着けなかった。しかし、遷座当初のものといわれる元和2年(1616)の燈篭から歴史はかなり古そうです。また、明治40年(1907)に天地社を合祀したとも聞きますが、額などに名は現れておらず、定かな所は分かりません。祭神も概説に記載はなく、恐らく応神天皇あるいは誉田別尊と思われます。いずれにせよ、その答えはこの覆殿内に収められています。八幡社創建 / 不明祭神 / 応神天皇境内社 / 御嶽神社、熱田社・金刀比羅社・天満宮相殿、八幡稲荷神社、津島神社所在地 / 名古屋市中村区栄生町29-6公共交通機関アクセス / 地下鉄東山線「本陣」2番出口から北へ徒歩10分参拝日 / 2023/12/08関連記事 /・「屋根神」西区名駅・ノリタケの森 日陶神社