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このブログはおぢさんの自分のための覚え書きというのが基本コンセプトであるが、考えがまとまらずアップしていない記事が溜まってきた。楽天ブログには下書き記事50件という制限があるので、置き場に困るボツ記事を整理がてらまとめてアップする。
『我々は毛人(エミシ)である』[歴史/考古学/毛人](2014/11/14)蝦夷(エミシ)とは東北や北海道の先住民族のイメージがあるが。毛人もエミシと読む。有名なところでは蘇我毛人がいる。貴人の名前になっている所からしても必ずしも蔑称ではなかったことが分かる。倭王武の上表文では「東に毛人を征する事五十五国」という件がある。そして真偽は定かではないが今の群馬県(上毛野)、栃木県(下毛野)はもとは毛ノ国であったという先代旧辞本紀の記述からするに毛人の国は東北よりずっと西、おそらく東海地方まで広がっていたのだろう。 いまでこそ関東は碓氷峠、垂水峠の東を指すが、元々は三関と呼ばれるあちらの関、鈴鹿の関、不破の関以東を関東と呼んだ。まさに関の東である。この三関はどのような性格の物だったのかは分からないが、ヤマト王権のある段階での東の境だったと考えるのが最も自然ではないだろうか。 やがて日本へと発展する西国の倭人(やまとひと)にとって東海地方以東の人間は毛深い異民族である毛人だった。我々東の人間は日本人(やまとひと)ではない、征服された毛人(エミシ)の末裔である。 『古代人にとって邪馬台国は大昔の話』[歴史/考古学/毛人](2014/11/19)昔の事について知りたいと思ったら、普通はまず歴史書に当たる。邪馬台国の時代について調べたいと思ったとき古事記や日本書紀に当たる訳だが、継体天皇以前の記述はあまり信頼できないとされている。日本書紀では卑弥呼縄文 ~ 弥生 ~ 古墳 ~ 奈良 ~ 平安 ~ 邪馬台国の時代を知ろうと思っても国内の文字史料に期待することはできない。文字による記録がまとまって現れてくるのは奈良時代からだ。すでに400年も経ってしまった後のことだ。 古墳時代と限定しても250年~600年もの長きに亘っている。古墳時代末期の人にとって古墳時代初期の頃は遥か昔で、文字という伝達手段が無かった当時、古墳時代初期の記憶は失われていただろう。 『日本人は歌いまくり』[詩歌](2014/11/20)近頃古典を読んでいて思うのは「つくづく昔の人は良く歌ったのだなあ」ということだ。ちびまる子ちゃんの友蔵氏や、おーいお茶のペットボトルに印刷されている俳句など今でも歌は日本人に愛されている。とはいえ昔の人の歌に対する愛は全然レベルが違っていた。 萬葉集が編まれた時代の人々にとって和歌は娯楽であり芸術でありメインのメディアだったのだろう。 辞世の句 死ぬときに歌って。 彼らはまた、決まって吟ずる十八番ともいうべき歌を持っていた。 『朝鮮半島への固執』[歴史/考古学/毛人](2014/11/24)663年の白村江での敗戦に至るまでの300年間倭は朝鮮半島に異常ともいえる固執を示す。(参考)鷲崎氏ホームページ「倭の五王と九州王朝説 - 古代統一国家の形成」 遣唐使の記録、魏志倭人伝、萬葉集などあらゆる記録が古代の航海が命懸けであった事を伝えている。にもかかわらず、朝鮮半島にこれほどまでに固執したのは何故なのか? しかも日本列島内に海を渡らずとも征服可能な地域があったにもかかわらずである。ヤマト王権の少なからぬ人々の間に半島こそ故郷あるいはルーツであるという記憶または意識があったからではないだろうか? 『鏡-(2)各部の名称』[歴史/考古学/毛人](2015/1/30)三角縁神獣鏡と断面図[図] にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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