世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
whatsman@nnnNNNが始まったのがたしか96年だったと思うが、その後半年程度で、俺はNNNを抜けた。その後、1リスナーとして、1ヒップホッパーとして、レコードを買い続け、現場にも顔を出した。たぶん趣味というレベルを超えた金額をレコードに費やしてたといっていいし、すげえ頻度で現場にも顔を出していた。プレミアなどのミックステープを買い、真似するために、クソ練習してたりもしてた。別にDJでもないので、披露する場もないのに。日本語RAPに関してはクッソ聞き込みまくり、そらで歌える状態になってたりもした。FRONTやベスト本なども買いあさっては、知識の集積に勤めた。そして、HIPHOPとは何か、について、熟考することに時間を割いた。今、思い返してみても最も純粋にHIPHOPを愛してた時代だったと思う。それから時がたちNNNに戻った後、どういうライブをするか、またリリックを書くか、に終始する中、演じる側の視点に重きを置き、純粋な気持ちは薄れていった気がする。それでもこのBLOGがあったこともあり、HIPHOPとは何たるか、を考えることがあったおかげで、あの純粋な気持ちを俺は多少なりともKEEPしとる。こっからは俺の独断だが、マイク掴んだり、DJをしたりしてる連中に、俺の抱いたような愛情を感じることがあまりない。何がHIPHOPか、HIPHOPとしてどうするべきか、などを考えず、ただLIVEすることに終始する。RAPをすることが、DJをすることがHIPHOPじゃねえんやねえか。DJでもないのに、ひたすら趣味として、いまもなおレコードを買い続ける。それもお洒落な感じのものではなく、マジで泥臭いHIPHOPをDIGり続ける。HIPHOP関連する映画、書籍を可能な限りチェックする。自分の行動原理にHIPHOPを組み込む。こういう連中は間違いなくHIPHOPがクソ好きなハズ。世界はそれを愛と呼ぶんだぜ(@サンボ)ストリートで悪ぶって、ラップでもやりますか、ちょっくら(@SHIと朗)って奴らよりもマジで愛が深い。俺の勝手な解釈だが、HIPHOPは参加型の文化って思ってて、シーンにリスナーが大きく関与しとる。特定の歌い手だけを聞くリスナーは少なく、シーン全体を聞く音楽ジャンルはHIPHOPしかねえ。誰と誰にビーフがあって、どことどこが友好関係にあって、など、その背景にも注目する。こんなジャンルもほかにねえ。マジで1リスナー、1ヘッズが、シーンを形成する一部になっとる。特定のMCだけを聞くというリスナーも増えてきてるようだが、基本的には上記のとおり、シーン全体を追いかけてくれてるわけ。逆に去るときは一気に去っていく。ブッダだけを聞く、という感じで残らず、シーン丸ごと聞かなく可能性が高い。シーンを盛り上げてくれるHEDZはマジで大事にしたいところ。そういうHEDZがいないとなりたたん。HEDZを無視した盛り上がりはいわゆる身内ノリになる。このBLOGを読んでくれている人は演者もおるかもしれんけど、大半が、シーンを支えてくれるHEDZやろうとおもっとる。マジで感謝しとる。HEDZの愛に支えられとる。先日、北九州発のB-BOY、セイタローってヤツと話し込む機会があったんだが、このセイタローのHIPHOPへの愛がクソ深い。その愛は、散らかしまくったヤツの車の後部座席同様、底がマジで見えん。冒頭に書いた昔の俺のクソ熱かったあの時代よりも、そして、あの7月よりも熱い思いをHIPHOPにもっとる。30過ぎてあの思いは本物やろう。その思いゼッテーに、やめんな@シマウマ積み重ねることで初めて見える景色もある。今日はこの辺で。PEACE。