2922182 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2009.06.19
XML
(ウツボ)さらに大空襲では、超低空から呉地区一帯に熾烈な機銃掃射を行った。日本海軍も懸命に対空砲火で応戦したが、巡洋艦大淀が大破、戦艦伊勢、日向、榛名、重巡洋艦利根が損傷し、戦艦大和、軽巡洋艦矢矧を除く艦艇のほとんどが戦闘力を失った。

(カモメ)第一潜水隊の伊四〇〇、伊四〇一、伊一三の三艦も港内に在泊していまいしたが、いち早く緊急避難あるいは急速潜航したので、被害は軽微でした。

(ウツボ)それでも、伊四〇〇の対空機銃員一名が戦死した。また伊四〇一が機銃掃射の断片を受けた。

(カモメ)伊四〇一の南部艦長は「軍艦大淀が呉の秋月沖で、半ば傾きながらも砲を全部振り向けて射撃し続けていた悲壮な光景は、今も忘れられない」と呉大空襲の壮絶さを述べています。

(ウツボ)また、三月二十七日、三十日には千五百海里も離れたマリアナ諸島を発進したB29の編隊が、瀬戸内海西部海域一帯に機雷を投下した。その数は一千個で、落下傘で投下した。

(カモメ)このため、呉鎮守府の掃海部隊が懸命に機雷の処分に当たりましたが、これらは磁気機雷、水圧機雷といった新型だったため、有効な処理ができなかったのですね。

(ウツボ)これで、今までは、米国潜水艦の攻撃も及ばない聖域とされ、日本海軍の重要な終結海面であり、安全な訓練海面であった瀬戸内海は、一夜にして危険海面に変わってしまった。

(カモメ)「潜水艦隊」(井浦祥二郎・朝日ソノラマ)によると、昭和二十年五月、ヒトラーが死に、ドイツが連合軍に降伏するに及んで、連合軍交通の要衝であるパナマ運河を破壊して、一時的にではあるが、太平洋方面への、敵の兵力移動を阻止することが必要とされたのですね。

(ウツボ)そうだね。パナマ運河攻撃には、伊四〇〇潜型の潜水空母の使用が決まった。

(カモメ)「潜水艦隊」の著者、井浦祥二郎(海兵五一・海大三三)は元海軍大佐で、潜水艦一筋の軍人で、海軍兵学校、海軍大学校を出て、伊一二二、伊三、伊七四などの潜水艦長、第三潜水戦隊首席参謀、大本営参謀、第六艦隊首席参謀などを歴任、終戦まで潜水艦作戦を実施した人ですね。

(ウツボ)生粋の潜水艦の専門家だね。伊四〇一は昭和二十年一月八日に竣工していた。当時潜水空母は、伊四〇〇及び伊四〇一が完成しているに過ぎなかった。

(カモメ)伊四〇三は進水していたが、まだ作戦には使用できませんでした。このほか潜水空母は、改造型の伊一三、伊一四の二隻が完成していました。

(ウツボ)この四隻で昭和十九年末に第一潜水隊が編成されており、有泉龍之助大佐(海兵五一・海大三五)が司令に任命された。伊四〇一が第一潜水隊の司令潜水艦になった。

(カモメ)有泉大佐と、井浦大佐は海軍兵学校同期で仲が良かったですね。第一潜水隊は第六艦隊(司令長官・醍醐忠重中将)に所属していました。

(ウツボ)有泉大佐は、徳川の直参、有泉家の出身で、父の海軍主計中佐・有泉庚午の長男として東京に生まれた。

(カモメ)静岡中学校から海軍兵学校に入り、潜水艦、空母赤城乗り組みを経て、海軍大学校を卒業しましたね。

(ウツボ)昭和十四年十一月から十七年三月までは軍令部の潜水艦主務参謀だった。昭和十七年三月から第八潜水隊、十八年十二月から第十一潜水隊の先任参謀を務めた。

(カモメ)また、十九年一月から伊八の艦長になり、インド洋で交通破壊作戦に従事しました。インド洋では五隻を撃沈する戦果をあげたのです。

(ウツボ)有泉大佐は豪放磊落、酒豪で弱音をはかない武人だった。剣道もよくした。他面、作戦や航海計画となると、臆病と思えるほど慎重で、緻密、常に最善策のほかに次善の策も用意させるというところがあった。

(カモメ)第一潜水隊は、伊四〇〇、伊四〇一、改造型の伊一三、伊一四の四隻で編成されました。

(ウツボ)そうだね。伊四〇〇と伊四〇一には特殊攻撃機・晴嵐を各三機、伊一三と伊一四には各二機、合計十機を搭載する、いわゆる潜水空母艦隊だった。これは世界の戦史上、類を見ない艦隊だった。

(カモメ)また、昭和十九年十二月十五日、関東の鹿島航空隊で潜水空母搭載攻撃機「晴嵐」で第六三一航空隊が編成され、その後広島県福山海軍航空隊を基地としました。司令は有泉大佐が兼務しました。

(ウツボ)伊四〇〇の艦長は日下敏夫中佐(海兵五三)、伊四〇一の艦長は南部伸清少佐(海兵六一)、伊一三の艦長は大橋勝夫中佐(海兵五三)、伊一四の艦長は清水鶴造中佐(海兵五八)だった。

(カモメ)伊四〇〇の艦長・日下敏夫中佐は生粋の潜水艦乗りで、潜水艦乗り組み十二隻、そのうち艦長として乗り組んだ艦は、伊一二一、呂五八、呂六三、伊一七四、伊一八〇、伊二六と六艦にも及ぶベテラン艦長でした。

(ウツボ)伊四〇一の艦長・南部伸清少佐は昭和十一年以来一貫して潜水艦畑を歩き、呂六三、伊一七四、伊三六二の艦長をつとめた。また伊三五一の艤装委員長を経て二ヶ月目に伊四〇一の艦長に補された。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.08.15 09:19:34


PR

カレンダー

カテゴリ

プロフィール

midway25

midway25

サイド自由欄

浮雲のように
http://syousetu72kenka82.seesaa.net/

お気に入りブログ

お気に入りレストラン ふくちゃん9928さん
猫不足解消 どら猫会長さん

バックナンバー

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12
2023.11
2023.10
2023.09
2023.08
2023.07

コメント新着

背番号のないエース0829@ 第二次世界大戦 映画〈ジョジョ・ラビット〉に、上記の内…
背番号のないエース0829@ 対馬丸 「外間邦子」に上記の内容について、記載…
くーる31@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
KenKIRYOKU@ 人間どこまでがんばれるか?についての考察 前回書いたものに、もし誤解が発生、惹起…

ニューストピックス

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.