あるオカマの死
長年の友人である人が死んだ。72才。オカマとしては長生きしたほうだと思う。わたしの知る限り、オカマとマージャン打ちは長生きした人は少ない。神経をすり減らすからだろう。彼女の口癖は「わたしは朝鮮戦争のころから、お尻を貸していたのよ」横浜の米軍相手に商売していたそうだ。30年くらい前に、朝方開いている店を探しているとき、声をかけられた。はっきりって気持ち悪かった。化粧は落ちてるし、ひげが伸びていたからだ。「お姉さんいくらあれば、飲める?」「いくらあるの?」「5000両」「OK」彼女の得意技は、一人ジュエットである。石原裕次郎と浅丘ルリ子の銀座の恋の物語を、物まねで歌うのである。裕次郎を物まねする人はいるが、浅丘ルリ子はほとんどいない。しかも絶品であった。世の中をうまく渡れる人なら、その芸でかなり稼げたように思う。小うるさい輩も彼女の歌を聞くと唸った。弟も常連になった。弟の結婚式でも歌ってくれた。みなが立ち上がって拍手してくれた。感激のスタンディング・オーベーションであった。年を取るのはつらい。友達は増えないのに、どんどん減っていく。しかも手の届かないとこに逝ってしまう。○○さん、弟にまた歌ってあげてね。長年の夢。大好きな裕ちゃんと歌えるね。私も近いうちに逝くから。○○さん、ご冥福を祈ります。