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イタリア映画

2011.11.14
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カテゴリ:イタリア映画
  

(あらすじ) 1971年、イタリアのトスカーナ。銃の暴発で両目の視力を失ったミルコが、古いテープレコーダーとの出会いによって、新しい世界への扉を開いていく――。


 イタリア映画の得意とする、少年を主人公にした小粒の良作。
ことし公開となったイタリア映画『人生、ここにあり!』は、1978年の精神病院廃絶法の制定で起こるドラマを、ユーモア交えて描いている。 本作は、盲学校廃止の法律ができる、すこし前が舞台。イタリアの70年代はこんな時代だったんだ。

伝統を重んじる盲学校で、次第に心を閉ざしていくミルコを変えたのは、彼の感性にいち早く気づいたジュリオ神父と、神父がこっそり与えてくれたテープレコーダーだった。
ミルコは、管理人の娘フランチェスカやクラスメイトと共に、自然の奏でる音をレコーダーに記録していく。
風の音、雨の音、鳥の羽音、手に入らない音はじぶんたちの手で作った。いつしかほかの生徒たちも加わって、声と音の小さな物語ができあがる。
しかし、ミルコの行動に理解を示さない校長は、彼からテープレコーダーを取り上げて退学処分にしてしまうのだった、、。


327714_01_03_02.jpg


からだは五感のひとつが壊れるとそれを補うようにできています。演奏家が目を閉じるのは視覚以外の感覚を鋭くしているのです――そんなジュリオ神父のセリフが好きだった。

テープレコーダーで音を集めるシーンを見ながら、わたしは『イルポスティーノ』を思い出していた。イタリアを舞台に、亡命詩人と郵便配達夫のこころの交流を描いたこの作品は、マッシモ・トロイージがレコーダーにナポリの島の音を集めて、詩人に思いを伝えるシーンがあったのだ。
同じく、目の見えない彼らが学校を抜け出して映画を観に行く場面など、映画への郷愁があちこちに散りばめられていた。ひょとすると『イルポスティーノ』や『ニュー・シネマ・パラダイス』へのオマージュだったのかな。

イタリア映画界で活躍する、盲目の音響技師の自伝小説が基となった物語。人生のターニングポイントに、良き導き手に出会えた幸運や、盲目であることを障壁としなかった秀でた感性にジーンときた。耳を澄ませて観たい、いい映画だった。


†     †     †


  監督  クリスティアーノ・ボルトーネ
  脚本  クリスティアーノ・ボルトーネ  パオロ・サッサネッリ  モニカ・ザペッリ
  音楽  エツィオ・ボッソ
  出演  ルカ・カプリオッティ  シモーネ・グッリー  アンドレア・グッソーニ

  (100min)







Last updated  2011.11.19 13:39:06
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2010.11.24
カテゴリ:イタリア映画

 この11月、札幌大通りに新しくTSUTAYAがオープンした。日本最大規模に匹敵するタイトル数、北海道最大の品揃えだというから、喜び勇んで足を運んでいる。
これまでオンラインに頼りきっていたラインナップがずらり!! 
DISCASで2枚ずつレンタルしてきた作品が、ここにはいっぱい並んでいるのだ。 
初めて足を運んだ日は、1時間も店内を眺めてしまったよ。
2度目にようやく、なんでもあるわけじゃないのがわかってきたけど、それでもすごいラインナップ。
なんといってもうれしかったのは『ピンク・フラミンゴ』か(笑)
いま、レンタルしているのは、グリフィスの『國民の創生』(これもオンラインにない)、ヤコペッティの『世界残酷物語』、セシル・B・デミル『チート』、などなど。


まずは『世界残酷物語』の感想からいってみよう。
こちらは、なんと「死ぬまでに観たい映画1001本」に選ばれている作品。
世界各国40ほどのエピソードを捉えた記録映像で、ヤラセ?という見方もあるけれど、どちらにせよ、未開と文明を並べて人間の蛮性を描いた問題作だ。

このての映画はモンド映画といって、しばらく流行したらしい。本作はその先駆け。
モンド映画とは、観客の見世物的好奇心に訴える猟奇系ドキュメンタリーのくくりのこと。いったん廃れたあと、近年になってまたドキュメンタリー作品は再び人気を集めているけれど、モンド系はほとんどないと思う。

文明と未開が並べてあるのは、シニカルに観れるからいい。かたや、5年に一度、村中の豚を潰して食べつくし、犬やヘビを食す民族がいて、かたやステーキに飽きて蟻や芋虫のゲテモノ料理を食す白人がいて・・・・。どっちが普通といえるのだろう。
日本も残酷とは言えないまでも、けったいな風習をいくつか取上げられているので笑ってはいられない。
サラリーマンにマッサージと入浴のサービスをする、東京風呂なるものが登場。(ホント!?) きな臭い映像とはいえ、日本人としてちょっぴり恥ずかしい。


 先日、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』を読みながら、ドキリとした一文があったことを思い出した。長いけれど、以下抜粋。

 毎年、夏になるとグラフ雑誌は原爆特集をやる。そして被災者たちの死臭にみちみちた写真を満載し、それが飛ぶように売れるのである。(省略)原爆反対に名を借りて、人間の死にざまの醜態を見たがる心理が、大衆のなかに根深くあるかぎり、ぼくは歴史なんて信じないし、原爆反対のキャンペーンにも組することなどできないだろう。
夏が来て、ケロイドと死のアメリカの禿鷹の特別号が発売されても、ただの一冊も売れなかった、という時代が訪れたときにだけ、ほんとにベトナム戦争は終わりに近づくだろう。


じぶんも含め、残酷や醜態を、どうして人は見たがるんだろう。モンド映画を観る行為と、上の文章には、共通したものがある気がしたのだ。
『書を捨てよ、町へ出よう』は1975年刊行の古い本だけれど。 


監督/ グァルティエロ・ヤコペッティ  フランコ・E・プロスペリ
脚本/ グァルティエロ・ヤコペッティ
撮影/ アントニオ・クリマーティ  ベニート・フラッタリ
音楽/ リズ・オルトラーニ

(カラー/MONDO CANE/91min)






Last updated  2010.11.26 22:36:25
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2010.09.16
カテゴリ:イタリア映画

 イタリアの巨匠プーピ・アヴァーティが、故郷ボローニャを舞台に撮り上げた、ある家族の絆の物語――――。
本国で大ヒットしたという、セピア色の家族の情景は、ホロ苦い。

 1938年、第二次世界大戦前夜のイタリア、ボローニャ。高校の美術教師ミケーレは一人娘ジョヴァンナを溺愛している。彼女は、美しくて闊達な母デリアに、憧れと劣等感を感じて、いまだ恋愛にも縁がないのだった。
良き妻になりきれない母デリアは、夫の親友に密かに想いを寄せ続けていて、そのことに夫ミケーレは気が付いているのだが、取り繕いながら、一家はつつましく暮らしてきた。

しかしある日、ジョヴァンナが通い、ミケーレの勤める学校で女子生徒の殺人事件が起り、ジョヴァンナは嫌疑をかけられ、身柄を拘束されてしまう。平穏だった一家の日常は、音を立てて崩れていく・・・。追い打ちをかけるようにボローニャに戦火が迫る。

il-papa-di-giovanna-2.jpg il-papa-di-giovanna-3.jpg


 愛はあるのに、どれも不器用な一方通行だから、みんなどこか愛に飢えている。
家族に向けるべき愛を、夫の親友を慕う想いと取違えている妻。彼女のぶんまで、娘を溺愛する父。そんな両親に育てられた娘は、いつしか心を病んでいく。
殺人事件の前にも、彼女からのSOSはあったのに、、、最悪の事態に陥って初めて、人はほんとうのことが見えてくるのだ。

時代が戦時下でなく、単に家族の物語だったら、ややもすると、もっとおもしろい作品になっていたかもしれない。ひとつひとつ、良さげなエピソードが、勢いよく走り去っていく感がもったいない。まるでダイジェストだった。
このお話に息づいているめっけものは、いっぱいある気がする。それは父親の愛であったり、娘を愛せない母親の葛藤だったり、殺人を犯すに至った娘の心理だったり。
どれも駆け足では惜しいほど、ドラマ性を秘めているのだ。

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ファシスト政権の世相を背景に、当時の暮らしの手ざわりをいきいきと甦らす――(チラシより)
この頃のイタリアの風俗や郷愁に思い入れがあるなら、十分楽しめる作品なのだろう。
ただないものにとっては、登場人物に感情移入できるか否かで、感想は変わってくる。そんな時、丁寧とはいえないディテールが玉に瑕となり、勿体なく、思えてしまうのだった。

精神病院に送られた娘を、温かく見つめ続けた父親の愛は、やがて身を結ぶ。
終戦後、娘は退院し、母親であり妻であるデリアとの再会を経て、家族はまた新しい道を歩んでいくことになるのだ。
それぞれがどんな想いで、この結末に至ったか、どうしても唐突で、わかりにくさが残り、深い感慨とは遠いが、全体としてはまずまず楽しめたイタリアの小品。
役者さんがみんないい。




†    †    †


原案・監督/ プピ・アヴァティ
製作/ アントニオ・アヴァティ
脚本/ プピ・アヴァティ  アントニオ・アヴァティ
撮影/ パスクァーレ・ラキーニ
音楽/ リズ・オルトラーニ
出演/ シルヴィオ・オルランド  フランチェスカ・ネリ  アルバ・ロルヴァケル

(カラー/104分/IL PAPA DI GIOVANNA)








Last updated  2010.09.18 16:00:33
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2010.03.06
カテゴリ:イタリア映画

 いままで意識してこなかったけれど、最近のイタリア映画を、じつはあまり観ていないのだなぁ。
お気に入りの監督、トルナトーレやベニーニ作品は別だけれど。
生粋のイタリア映画は、日本でそう多く見ることはできないせいかもしれない。新しくリリースされるDVDレンタルの半数近くは、エロス寄りの作品だったりしてびっくりする。

イタリアといえば、過去には名だたる巨匠たちがいた。
ヴィットリオ・デ・シーカ、フェリーニ、セルジオ・レオーネ、ヴィスコンティ、パゾリーニ・・・わたしが知っているだけでもこれだけいる。ということはもっといる。
では現在の監督層は薄いの?と疑問になって調べてみたら、そんなことはない。
先に挙げた、大好きなトルナトーレやベニーニは活躍しているし、『息子の部屋』のナンニ・モレッティとか、『家の鍵』のジャンニ・アメリオもそうだ。

しかし、まだ頑張っているのね!! と驚いた巨匠も多い。
『ポー川のひかり』のエルマンノ・オルミは80歳のご高齢、『サスペリア・テルザ』のダリオ・アルジェントも70歳というから驚く。あのベルナルド・ベルトルッチも来年で70歳だ。
新しい世代の監督が、どれくらいいるものか、最近のイタリア映画事情は知らないのでなんとも言えないが、いつかまた盛り返す日がくるといいなぁ。
そんなことを思いながら、いつか劇場で見逃した本編を観た。

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 北イタリアの小さな村。湖のほとりでこの村の少女、アンナの他殺体が発見された。
村に越してきたばかりの刑事サンツィオは、遺体の状況から顔見知りの犯行と推測、周辺で事情聴取を開始する―――。



 捜査の過程から、村人一人ひとりが隠し持つ、心の痛みや葛藤が浮き彫りとなっていく様を描き出したヒューマン・ミステリー。 本国イタリアでは、多くの賞を受賞している。
もとは単館上映だったのが、その質の高さから話題となり、全国で拡大上映されたという。
監督は、ナンニ・モレッティ監督の下で助監督をしていた、本作が長編デビューとなるアンドレア・モライヨーリ。

全編通し、静謐で丁寧な語り口が魅力。お金をかけないでもできる、良質な映画の見本のような作品だ。
小さな村の、ささやかな事件。けれど隠されている真実はとても深い。
映画としての見応えこそ地味だけれど、なかにキラリと光る良さがある。

捜査の過程で、殺されたアンナの人となりが見えてくるディテールは巧み。
犯人が誰なのか、彼女がなぜ抵抗なく死を受け入れたのか―――。それが分ったとき、ひたひたと感動が湧きあがってくる。静かに、底の方からじわじわと。
村人たちの隠された幾つもの事実にも注目したい。

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苦悩しているのは村人たちばかりではなく、刑事サンツィオもまた、苦しみを抱えている。若年性認知症を患って、施設に入所している妻がいるのだ。
最愛の妻が自分を忘れ、娘のことさえ忘れていく・・・。その深い悲しみを受け入れるまでの葛藤も、同時に描いていく。

全体をとおせば、前評判ほどではないけれど、観て良かったと思う小品。
あとひとつ、特筆するなら、サンツィオと老刑事の名コンビぶりだろうか。
遺体発見現場の湖畔に佇み、事件についての所見を述べあう二人がたまらなくいいのだ。まるで何度も演じてきたコンビかのような、馴染みよう。
登場人物たちの関係がスマートに伝わると、短尺であるほど見やすいもので、本作ではそれが実にさりげないのだった。


●  ●  ●  ●


監督/ アンドレア・モライヨーリ
製作/ フランチェスカ・シーマ  ニコラ・ジュリアーノ
原作/ カリン・フォッスム
原案・脚本/ サンドロ・ペトラリア
撮影/ ラミロ・シビータ
音楽/ テオ・テアルド
出演/ トニ・セルヴィッロ  ヴァレリア・ゴリノ  オメロ・アントヌッティ

(カラー/95分)








Last updated  2010.03.07 17:33:53
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2009.07.29
カテゴリ:イタリア映画

 この映画をはじめて観たのは、もう何年も前。
わけがわからず詰らなかったはずなのに、ラストの鉄球場面が頭から離れなくて、この度再見してみる。
あの当時、政治的な映画だということを知っていていたのだっけ、、、。
いま観ると、とても政治色が濃くて“国営放送局RAI委嘱の劇場公開を約束されたTV映画”であることにみょうに納得した。

オーケストラの面々が、自分の楽器について自由に語るドキュメンタリー風でありながら、にわかに暴走し始め、さながら国家間の争いの様相を呈する。
誰もが身勝手な行動をとり、指揮者に楯突いてもうメチャクチャ!
そこへ突如現れるのが、なにもかもを破壊する巨大な鉄球で、13世紀に建てられた歴史ある寺院の礼拝堂を壁ごとぶち壊していくのだ。

礼拝堂でのリハーサルは混乱を極め、それを取材に入っていたTVカメラが映像に収めている――という構図になっている。


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改めて観たところで、やはり面白くはなかった。
物語がないし、エンターテイメントに欠けるし。これは大好きなフェリーニの数多い監督作のひとつとして、ぜひ観ておきたいファンに限りガッカリしない作品なのかもしれない。
ただ、破壊シーンだけは、何度観ても圧巻!


orchest3.jpg

ほんとはカラーです
 


監督/ フェデリコ・フェリーニ
製作/ ファビオ・ストレッリ
脚本/ フェデリコ・フェリーニ  ブルネッロ・ロンディ
撮影/ ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽/ ニーノ・ロータ
出演/ ボールドウィン・バース  クララ・コロシーモ  チェーザレ・マルティニョニ

(カラー/72分/イタリア=西ドイツ合作)








Last updated  2009.10.17 15:10:59
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2009.01.14
カテゴリ:イタリア映画

 バレエ学校に入った少女スージーは、次々と起こるショッキングな連続殺人に遭遇する。秘密のドアを探し当てた彼女は、140年生きた魔女と対決する―――。


 語り草となっているイタリアンホラーの傑作。
冒頭から漂う、不気味で不穏な空気。スージーが土砂降りの空港に到着してから、とにかくなにかが起こる不気味な予感に支配されている。
舞台となる学校は古くて、アーティスティックで冷たさを感じる。いたるところ原色の赤ライトに照らされて、光景をさらに異様にひきたてる視覚感覚的ホラーでもあった。

Suspiria taxi.jpg


学校に到着した夜に目撃した生徒が何者かに殺害されたのを皮切りに、次々と起こる殺人事件。
スージーは隣室の友人とともに、少しずつ謎に迫っていくが・・・・。

巧いんだか下手なんだかわからないジェシカ・ハーパーの演技は置いといて、魔女伝説を科学的に解き明かそうとした展開はよかった。
どんなにピンチでも、動きがワンテンポ遅いのは、この際演出の妙というべきか。。
じれったくて仕方なかったけれど、このわざとらしくて大げさなのがいいのかもしれない。

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ホラーで魔術(悪魔系)といえばポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』が素晴らしくて一番に思い出すけど、雰囲気的にもあちらの方がずっと好きだ。
それでも共通して嫌な予感というものが、妙味として見事に描かれているのがいい。

対決というには緩いラストと、あっけない幕切れが気になりますが、ゴブリンの音楽は怖くて絶品。
室内装飾も、色遣いも、一見の価値ありな『死ぬまでに観たい映画1001本』のうちの一本でありました。

ちなみに『サスペリア2』というのは、アルジェント監督が本作の前に撮った作品で、続編でもなんでもありません。私的には『2』のほうが楽しめた記憶。
ちなみに『第三の男』『夏の嵐』のアリダ・ヴァリが、誰よりも怖かったかも。




監督  ダリオ・アルジェント
脚本  ダリオ・アルジェント  ダリア・ニコロディ
撮影  ルチアーノ・トヴォリ
音楽  ゴブリン  ダリオ・アルジェント
出演  ジェシカ・ハーパー  アリダ・ヴァリ  ジョーン・ベネット

(カラー/99分)







Last updated  2009.01.17 22:49:35
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2008.12.07
カテゴリ:イタリア映画

 すべてセットで撮影されたという、ヴィスコンティの悲恋物語。
原作はドストエフスキーの短編小説で、意外にも軽やかでさえあるメロドラマだった。
主人公は夢想家らしいので、本編の青年マリオ(マストロヤンニ)は原作のイメージと違うのでしょう。夢想家に見えるのは、かえってナタリア(シェル)のほう。
彼女の気性や不思議ちゃんな感じの行動が、良くも悪くも作品を左右している。
名優マストロヤンニが哀愁漂う背中で、最後に魅せてくれなければ、違った映画になっていたはずです。

ある夜、赴任先の港町で、マリオは橋に佇み泣いているナタリアと出会う。
不慣れな町で孤独だったマリオは、いっぺんに恋に落ちるのだが、ナタリアはじつは帰らぬ恋人を一年も待ちわびて泣いていたのだった。それでも一途に愛するマリオに、彼女の心は傾くが・・・。
残酷な結末が胸を痛くする。

20071008_335284.jpg LENOTTIBIANCHE.jpg

舞台はほとんどが夜だ。
彼女は「一年後の夜、この橋の上で会おう」という約束を守って、いつも待ちわびているから、マリオが彼女と会えるのも夜。
深い別れの悲しみに耐え、狂わんばかりに恋しい思いをしているナタリアは、神経衰弱気味で心の浮き沈みが激しい。
たんに、むかしのイタリア映画によく見られるオーバーな演出なのかもしれないけれど、そのテンションについていくことはできなくて、感情移入するのはマリオに対して。この作品の主人公は彼。

すべてがセットだというモノクロの映像は、なかなかのものだった。‘物語’チックでとてもいい。(映画自体はそれほどでもないけど)
後半部分に降る雪は文句なしに美しい!
モノクロの映画の良さは、黒と白でごまかされた細部の認識を、美化されたまま受け入れられるところかもしれない。
これがもしカラーだったら、雪はもっとニセモノに見えているだろうし、ここまで美しくはなかったはず。
いままで観てきた映画のなかで一等というくらいに、素敵な雪のシーンだった。

愛に破れたマリオに優しく寄り添うワンコが一匹。
哀愁の背中がマストロヤンニの名優ぶりをみせつけていた。



監督  ルキノ・ヴィスコンティ
原作  フョードル・ドストエフスキー
脚本  ルキノ・ヴィスコンティ  スーゾ・チェッキ・ダミーコ
音楽  ニーノ・ロータ
出演  マルチェロ・マストロヤンニ  マリア・シェル  ジャン・マレー

(モノクロ/107分)






Last updated  2008.12.09 22:19:17
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2008.07.15
カテゴリ:イタリア映画

  rocco2.jpg


 長男を頼って職を求め南部からミラノに出て来た兄弟と母親。家族の葛藤と挫折を描いた名作。長男は同郷の女(カルディナーレ)に夢中で家を省みない。悪に染まった次男シモーネ(サルバトーリ)と堅実な3男ロッコ(ドロン)はボクサーになるが、女ナディア(ジラルド)をめぐり争う。ロッコがチャンプになった夜、次男は女を殺したと告げる。



 田舎で父親を亡くしてから、長男を頼って都会にでてきた母親と残る4人兄弟。若者たちの青春の葛藤と愛と嫉妬を、3時間の長尺で描いた家族のドラマ。
はじまりは初期のヴィットリオ・デ・シーカを思い出す、そんな庶民の生活の描写から。やがて気づくとヴィスコンティ節になり、悲劇で幕を閉じる。

善良だが無関心な長男、悪人となっていく次男シモーネ、しっかりもので誠実な3男ロッコ、平凡な4男、幼さのこる5男。母親はイタリアのごく一般的な肝っ玉母さん。
都会ミラノでの新生活の苦悩を、日常から丁寧に綴り、彼らの変化が引き起こす家族の絆の揺らぎを、冷静な眼差しでじっくり描いていく。

次男シモーネがダメになるきっかけとなったのは娼婦ナディアとの恋。遊びだった彼女に一方的にのぼせた彼は、ボクシングに必要な禁欲(酒・煙草・女)を守ることができずに、落ちぶれていくのだ。そんな次男とは裏腹に、誠実な3男ロッコはボクシングの道を一度諦め兵役につく。
一年後、兵士として訪れていた町で、前科者となっていたナディアと偶然再会し、ふたりは燃えるような恋に落ちる。ナディアは真っ当に生きると誓い、人生で初めての幸せを味わうのだったが―――。

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 超美形のアラン・ドロンが演じているのは、純粋ないい男、非の打ち所のない主人公だ。ぐれたシモーネでは決して勝つことのできない相手。兵役を終えて戻ったロッコは、みるみるボクシングの腕も上がり、愛するナディアまで手に入れたと知ったとき、シモーネの怒りは爆発し、ロッコの目の前でナディアを手篭めにする狂気に出てしまう。

卑劣な兄に彼女を譲ったかたちで、ボクシングの世界に没頭していくロッコと、家にナディアを置き、働きもせず自堕落な生活を送るシモーネはあまりに対照的。
愛する人を奪われたのに、なぜロッコは穀潰しの兄に尽くすことができるのだろう。普通ならただでは済まさないし、殴り返すだろうし、許さない。ましてや彼女を譲るなんてありえない選択だった。
この展開からも、一筋縄ではいかない、オーソドックスなドラマでないことが窺える。
悲しい結末が、ただただ引き寄せられていくのは神話の世界のよう。このあたりが、後の耽美主義に繋がっているのだろうか。
結局は最も辛いのはナディアだった。愛するロッコを諦め、人でなしのシモーネの元に戻り、そこから逃げ出して娼婦に戻り、最後には罵ったシモーネに殺されてしまうのだから・・・。
それは奇しくも、ロッコがボクシングチャンピオンになった、その日。


ミラノにやってきたばかりの頃には想像すらしていなかった、都会での挫折と悲劇。
ずっと感じる郷愁の念が、やりきれない物語を切なく彩る。
兄弟たちが末の弟に未来を託すシーンが素晴らしい。いつか郷里へ、オリーブ畑が広がる田舎へ帰ってくれよ、と―――。



監督  ルキノ・ヴィスコンティ
製作  ゴッフリード・ロンバルド
原作  ジョヴァンニ・テストーリ
脚本  ルキノ・ヴィスコンティ  スーゾ・チェッキ・ダミーコ  エンリコ・メディオーリ
  パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ  マッシモ・フランチオーザ
音楽  ニーノ・ロータ
出演  アラン・ドロン  アニー・ジラルド  レナート・サルヴァトーリ  クラウディア・カルディナーレ

(モノクロ/181分/イタリア=フランス合作)









Last updated  2008.07.16 22:45:27
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2008.04.11
カテゴリ:イタリア映画

 『サテリコン』に続き、フェリーニのローマ三部作のうちの一作。
誰もが、決して甘い生活とはいえない、苦くも生き生きとした人生を謳歌している。
自殺未遂する女、ジャーナリストの主人公、パパラッチの集団、女優に道化。みんなが生き、そして、奇跡を待っている。
ブルジョアであっても、庶民であっても、苦労はどこにだってある。当時のイタリアを知っていれば、より楽しめたのかもしれない作品だった。
フェリーニ映画の人々はやはり魅力的。3時間という長尺だけは玉に瑕。

ダラリとだらけて、夜が過ぎて行く。出逢って別れて恋をして、青春が過ぎていく。
映画解説で見つけた都会のデカダンという言葉、このひと言にすべて集約されているような作品だった。

友人スタイナー一家の出来事が印象的。
家庭を築き、幸せで知的な暮しを営んでいたはずのスタイナーが、突然、子どもたちを巻き添えに自殺を遂げてしまう・・・。
一度は真剣に羨んだ落ち着いた生活さえ、絶望するような未来が待っているだけなのだ。

諦めたように狂乱の夜を過ごすマルチェロは、夜明けの海で、カフェで働いていた少女と再会する。
その言葉は、波の音にかき消されて聴こえない。
言葉の伝わらない、ただ意識だけが、しじまで交差する。
都会の孤独、ギラギラ輝いた暮らし、生の謳歌がにわかに希望を灯す。

主人公を演じたマストロヤンニは、若かりし頃からずっと、素敵なまま。
フェリーニの分身を務め続けたそうだ。
純粋でポジティブな生を感じる作品だった。
このニーノ・ロータの音楽は本当に素晴らしい!

 FellinisLaDolceVita1960.jpg la_dolce_vita2.jpg

 (あらすじ)しがないゴシップ記者のマルチェロは、作家志望の男。
同棲相手がいながら、富豪の娘マッダレーナ(A・エーメ)やハリウッドのグラマー女優(A・エクバーグ)とも、次々恋に落ちていく。
恋に仕事に狂乱に――。かくして変わらぬ朝が待っているのだった。





監督  フェデリコ・フェリーニ
製作  ジュゼッペ・アマト  アンジェロ・リッツォーリ
脚本  フェデリコ・フェリーニ  エンニオ・フライアーノ
    トゥリオ・ピネッリ  ブルネッロ・ロンディ
撮影  オテッロ・マルテッリ
音楽  ニーノ・ロータ
出演  マルチェロ・マストロヤンニ  アニタ・エクバーグ  アヌーク・エーメ
 バーバラ・スティール  ナディア・グレイ  ラウラ・ベッティ  イヴォンヌ・フルノー

(モノクロ/167分/イタリア=フランス/LA DOLCE VITA)










Last updated  2009.07.23 22:23:22
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2008.04.09
カテゴリ:イタリア映画

 フェリーニ作品にはわからないものもあるけれど、全体を考えると好きです。
ローマ三部作といわれるの中のひとつ。原作はネロ帝に寵愛されたという、ペトロニウスの『サテュリコン』。

 古代ローマ。快楽主義の学生エンコルピオ(ポター)は、親友アシルト(ケラー)と一人の美少年を争って破れる。その後、彼が経験するローマの退廃と堕落の遍歴譚。
酒池肉林の宴、男同士の結婚、屍肉を食らえと遺言する老詩人の物語など、異様なキャラクターが登場する。

精神世界を描いても、放蕩や狂乱を描いても、純粋さがあるフェリーニ監督。
退廃的な中にも、ユーモアや柔らかさがあります。
グロテスクで辛辣なところは、同じイタリアのパゾリーニ作品と共通した面を感じましたが、この純粋さだけは、他の監督にもない種類のものではないでしょうか。

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ローマの退廃と、芸術と、色彩の饗宴。
そこで繰り広げられるおぞましい様さえ、惹かれずにはいられない、好感を持たずにはいられない、そんな映画でした。
壮大なセットと美術にかかった労力を思うと、溜め息がでます。どのカットをとってみても既成のものはない、すべて造り上げたもの。
それがあまりに素晴らしいので、目が離せません。
一つひとつ見事なセットが、言いようのない存在で迫ってきて、堪能する前に、また次の芸術が現れてくるようでした。
壮大なセットさえも、フェリーニ作品は壊しまう・・。思い切りの良さは、感嘆したり圧倒されるばかりです。
壊すという行為は、きっといろんな意味が含まれているのでしょう。
壊すからこそ、ただ落胆させてはおかない、仄かな希望が生まれる。
多くのロードムービーが、海に行き着くことで再生を意味するのと似ているように感じます。

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主人公エンコルピオが経験することは、あらすじのままに、不健康で壮絶です。
このごろ、偶然にか必然にか、内面にも外面にも強烈な映画ばかり観ていますが、シュバンクマイエルの『ルナシー』も、パゾリーニ作品も、異質な世界に抛りこまれて、その先は自分次第だけれど、フェリーニの描く世界には幻想という救いが残されているようです。
だから親しみが湧いてくる。

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主人公が辿る不可思議な道。途中で彼は、ふたりの詩人と出会います。
ひとりは貧しくも、真の詩人。もうひとりは見せかけの詩で、私腹を肥やす偽の詩人。
貧しい詩人は主人公に知を与え、真実の言葉(詩)を遺して逝きますが、見せかけの詩人は享楽に溺れ放蕩三昧。
突然死んだフリを決め込む件は、『ルナシー』の侯爵と重なりました。神の真似事なのか、不謹慎な行い。人でなしを地でいく者たちがたくさん登場します。
その真似事の葬儀で聴こえてくるのは、なんと仏教のお経でした。全体に様々な要素が詰め込まれた、猥雑でありグローバルな面白さ。

若者たちの彫刻のような肉体美は見所。驚くほど強烈なインパクトある作品。
こちらも死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。
イタリア語、ギリシャ語、その他の言語も使用されているようですが、字幕がつくのはイタリア語のみ。自然と謎めいた印象も残りました。



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監督  フェデリコ・フェリーニ  Federico Fellini
製作  アルベルト・グリマルディ
脚本  フェデリコ・フェリーニ  ベルナルディーノ・ザッポーニ
撮影  ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽  ニーノ・ロータ
出演  マーティン・ポッター  ハイラム・ケラー  サルヴォ・ランドーネ  キャプシーヌ

(カラー/125分/FELLINI-SATYRICON)








Last updated  2009.10.17 15:17:02
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