青山さんの声より
青山繁晴さん街頭演説 京都・同志社大学前より、一部書き起こしました。 You Yubeで検索するとたくさん街頭演説が検索できます。 もし続きがご興味あれば、たとえばこちらなどからどうぞ。 第一次世代の240万の18、19歳が、自分の頭で考えて投票するという新しい歴史を作ってください。 そうしたら僕たち大人の投票の仕方も変わります。 その上で、初めて投票権ができた18,19歳の諸君に一番考えてほしいことは、憲法です。 本当は憲法をどうするというのは国を分けて争う話ではありません。 本当は議論が分かれることじゃない。 議論が分かれるのはまさしく、例えば消費税を続けた方がいいのかなくした方がいいのか、それは間違いなく議論は分かれる。 しかし本当はわたしたちの大切な日本国憲法を考えるときに議論が分かれるはずがないんです。 なぜかというと、僕たちの生きている世の中は当たり前ながら原因と結果があって、憲法を考えるときも、どういう結果をこの70年間生んできたのかということを一目瞭然なんです。 例えば、この同志社大学の学生諸君も、僕が教えている近畿大学や東京大学の学生諸君も一番若くて18です。 しかし君たち18歳よりもっと若く、13歳のときに女子中学生で拉致された、有名になってしまった横田めぐみちゃんを考えると、これほどはっきり隣の北朝鮮が拉致した、北朝鮮の金正日総書記が自ら認めたのに、なぜ取り返しにいかないのか、その原因わかってるよね? 取り返しにいかないのは横田めぐみさんだけじゃなくて、100人を超えているんです。 じゃあ、僕たちは無関心ですか? この選挙で、こうやってみんなが話を聴いてくれる中で、横田めぐみさんをどうでもいいと思っている人が一人でもいますか? 意見の違いがここにありますか? 横田めぐみさんだけじゃなくて、100人を超える日本国民が、今も、すぐ隣で、時差のない、時差の作れないほど近すぎる北朝鮮に誘拐されてて、なぜ取り返しに行かないのか? わたしたちが取り返しに行こうとしていないのじゃなくて、取り返しに行くことを禁じられているからです。 何によって禁じられているのですか? そんな法律があるんですか? あったらそんなものは国じゃないでしょう、 禁じているのはたった一つ、わたしたちの大切な大切な生き方の根本の日本国憲法です。 日本国憲法の第9条の一番終わりのほうに、「国の交戦権はこれを認めない」と書いてある。 国の交戦というのは、戦いを交えると書きます。 国の交戦はこれを認めないともし書いてあるなら、国同士が戦っちゃいけない、殺しあっちゃいけない、平和でいたいよね、ということを、ひょっとしたら願っているかもしれない。 相当無理な解釈だけど、できなくはない。 でも現実の日本国憲法はそう書いてなくて、国の交戦権は、「権利」の権です、これを認めないと書いてある。 だから、まともに、こどもの素直な心で読めば、他の国は日本に何をしてもいいけれど、日本の側だけは、相手が国だったら戦ってはいけないと書いてあるんです。 しかもどんな場合にと一切書いていないから、何をされても相手が国だったら日本は何もできないって書いてあるんです。 僕は主義主張で言っていない、客観的な事実、原因と結果だけで言っているんです。 この演説の後半に青山さんは、「なんで自公民を取り返しに行けないのか? それが一体国なのか? 国民を守らなくて何が国なのか?」 と、これまでもずーっと伝えている言葉を伝えています。 そう、国民を守るための、日本の領土も領海も、領空も守れるような憲法を作り直すのに、議論の余地はないよね。 今の憲法を平和憲法と呼び、安保法案を戦争法を呼ぶたとえば民進、共産、社民などの政治家は、何かしら?日本は無くなっても良いと、隣国のいいように侵略されてOKよん、って思ってるってことよね。 わたしも9条があるから戦後平和だったのかと全く疑わずに大人になった。 だって学校でもテレビでも新聞でもそう書いてあったもの。 わたしはフィギュアスケートの不正問題でやっと目が覚めて、(夫は前からメディア操作が凄まじいと言ってたけど)青山繁晴さんを知って、世界の見方が変わった。 日本って本当にうつくしい国だってことも。 夜勤明けからふらふらで帰ってきた息子は、同期の友人に、「テレビのバラエティを見てるつもりでいいから、 青山さんの演説を10分でいいから聴いてみて」と伝えたそう。 だからわたしもこうして書き起こして、拙ブログに来てくださる方にも伝えようと思う、何度も、何度でも。