わたしは愛のある人間だ。
情というものがさっぱりわかりません。だいたい、世間においては情のある人間のほうが「よい人間」ということになっている気がしますが、いかがでしょう?みんなそのことを知っていて、情の深い人間であることをお互いに主張しあったりしてないでしょうか。テレビの扇動的な編集にも気づかず、それらしい話を聞いては、「かわいそう」だとか「泣ける」だとか「〇〇してあげたい」だとか「私は人の感情を共感することができますよ」的な主張があふれかえってないだろうか。あまりにも浅薄すぎる。「やっぱり親子の愛情というものは どこの国でも同じなんですねぇ」なんてオマエ、どんだけ調査したんだっつーの!!勝手に普遍化するなよ。たとえば「親殺し」はほんとうに「痛ましい事件」なのか?そういったことは問題にされない。「痛ましいに決まっている。お前にはココロがないのか」といった回答。そして決まったように、「最近の若い人は想像力が欠如していますね・・・」アンタは脳みそが欠如してるよ。もっと考えなきゃダメだ。常識知ってるフリしたってダメだ。自分で考えるというのはすごく難しいのだ。自分で考えてるつもりでも、すぐに常識にのっとられたりする。本質的には、「自分で考える」ことはできないかもしれない。しかし、自分で考えようと努力しなければ、なんの考えも生まれない。煽られてはいけない。疑義だ。疑義をはさめ。感傷的なつくりにたいして盲目的に涙してみせることが愛情のある人間ということではないのだ。