ほんとうの自信をつけるホメ方
【前回までのあらすじ】あなたは、何にも悪くない。親も、何にも悪くない。じいちゃんばあちゃんも、何にも悪くない。大切なのは「誰のせいなのか」ではなくて、「いま、何ができるか」=====================ここでひとつお話しておきたいことがあるのですが、どこかの本のタイトルのように、「劣等感のある人 ない人」というわけ方は、絶対にできないんです。たぶん、ここ数回の文章を読まれると、「私には劣等感があったんだ」ということに気づかれると思います。けれども「劣等感がある=ダメ」じゃないのです。まず覚えておいていただきたいのは、「誰しもが劣等感を抱えている」ということです。なぜなら人間は不完全だからです。不完全な親から生まれ、不完全に育ち、不完全な子供を生んで、不完全な育て方をする。それは誰もがそうなんです。「正しいこと」ができている人なんていないんです。みんな間違っている。そして間違っていていいんです。自分を100%認め、他人を100%認めるなんて、お釈迦様やキリストのような聖者さんがやることです。「ふつう」のぼくらが、それを求めたら苦しい。だから自分や親や子供が完全でないこと、失敗や間違いを犯すことは、当たり前のことなのです。不完全なぼくらが、不完全な営みをして、不完全ないのちを生きている。実は、不完全なものであるにも関わらず、それでも地球が回っている、というところがすばらしいのですね。「ここに、ひとつ、いのちがある」ということだけで、じゅうぶんにありがたい奇跡なのです。そしてこの星の上で、「いま、できること」と言えば、「自分」を捨てて、周りにあかるい笑顔をふりまき、いたわりのことばを使い、人の話を聞いてあげることなのです。そうやって他人の劣等感を解消していく。そのことで自分の劣等感が解消されていく、仕組みになっているのです。そんな聖人にはすぐにはなれないでしょう。つい「スケベ心」が出てしまい、大切な人を傷つけたり、そのことで、「俺はダメだぁ」と落ち込んだりもするでしょう。それでもいいんです。でも、やっていくしかないんです。やってみて、間違って、失敗したら修正し、またやってみる。ぼくら「ふつうの人」はそうやって成長し、幸せになっていくしかないと思うんです。ですから、どうか責めるのはやめてください。自分を責める。親を恨む。子供に期待する。そんなことしたって、誰も得しません。誰もが、知らない・分からないなりに、いのちを一生懸命生きているんです。愛することに不器用な人もいるでしょう。けれども、その人は、その人にとっての、100%を生きているんです。「これでいいんだ」「このままでいいんだ」「今がありがたいんだ」「ここにいていいんだ」「ここにいて、いいんだよ」ということを口癖にして生きていく。それが「幸せの道」なのかなぁと、いまのぼくは考えているのであります。今回は長くなりましてすいません。この文章を読んで、何かしら感じてくれる人がいたなら、嬉しいなぁ♪