カテゴリ:フュージョン、AOR、ワールドMusic
西アフリカのマリ共和国のドゴン族の伝統的な葬送儀礼の仮面舞踏を見てきました。
ぼくは、はじめて参加というか見に行ったのですが、一連の<東京の夏>音楽祭2005の音楽イベントのひとつでした。 <東京の夏>音楽祭は、もう21回目をむかえるらしく、毎年、テーマがあるようなのですが、今年のテーマは 「宇宙 音楽 心」だそうです。 このテーマで、クラシックから民族音楽まで、実に多彩なライブ・イベントが用意されています。 例えば、もう終わってしまいましたが <オーケストラの大宇宙>と題して 佐渡裕(指揮者) vs. 山下洋輔(ジャズ・ピアニスト) Vs. N響 の 『惑星』『エンカウンター』(東京オペラシティコンサート・ホール)や UA(ウーア)の童謡コンサート ~うたううあ~(サントリーホール)7/20 など、6月から7月にかけて、東京のいろいろなホールでやっています。 今日の、『ドゴン族の仮面舞踏』は、世田谷パブリックシアターという、普段は主に演劇をやっているホールで開催されました。 会場に着くと、いつもよく行っているライブやコンサート会場とは違って、いわゆる民族音楽や民族衣装が好きそうなファンがロビーでごったがえしています。 アフリカのパーカションなどの民族楽器、民族衣装、手工芸品、彫り物の人形、アクセサリー(魔よけなど)、民族音楽のDVDなどが販売されていて、 集まったお客さんも、わりとエスニックな衣装を来ている人が多かったです。 仮面舞踏が始まる前に、日本語でちょっとした解説があり、仮面舞踏の内容をかいつまんで説明してくれました。 ドゴン族というのは、マリ共和国のなかで、断崖に住んでいる民族だそうで、非常に伝統的な生き方を守ってきているひとたちだそうです。 仮面舞踏というのは、もともとは、誰かが亡くなった時に、葬送儀礼として村人がみんな繰り出しておこなわれる、とても大切な文化で、今回は特別に、村長の許可を得て、日本で公開されることになったそうです。 それで、仮面というのは、死者と祖先とをむすびつける特別なもので、 死者が、この世から祖先たちのいるあの世に行かれるように仮面の力で送ってあげる、そういう葬送儀礼だとのこと。 仮面をつけた踊りと、太鼓(パーカッション)のリズムと歌、これだけで全てが成り立っています。 本当に死者を葬送するときは、この歌と太鼓と踊りを朝から日が暮れるまで続けるそうですが、こんかいはそれをやく70分に短縮して見せてくれました。 出てくる仮面は全部で7つ。人間や動物、そして精霊(神)たちです。 サティンペとよばれる、唯一の女性を表した仮面。仮面の上に女性像が乗っています。この葬送儀礼は、すべて男性達によって行われるそうですが、この仮面だけは(男性がつけているが)女性を表すそうです。 フルべといわれる異邦人の仮面。正確には、フルベというのは、村人以外のひと、もともとは隣の村のひとを現しましたが、外からやってくる人たち全てを指し、異邦人、外国人はみなこのプルベになります。 シンゲとよばれるサルの仮面。 ドゴン族にも創世の神話があり、創世主がさいしょに創った動物達のひとつがサルだそうです。 アゲとよばれるワニの仮面。この仮面にはしっかりとワニの口や歯(牙?)がついています。 ワニというのは、ドゴン族にとって特別な存在だそうで、11世紀に西アフリカ一帯がイスラム化されていくなかで、最後までイスラム化されることに抵抗し、逃げていったドゴン族が、さいごに川を渡るときに、われわれはどうしても逃げなければいけないので、この川を無事に通してくれとワニにお願いし、無事逃げた。という言い伝えが残っているそうです。 ドゴン族が断崖に住んでいるのも、おそらくそうした外部からの侵入者たちから逃れて、けっして追ってこられないところまで逃げ切った場所が断崖だったのではないかと思います。 テネタナと呼ばれる鳥の仮面。鳥を表すために、仮面をかぶった踊り手は、竹馬のように長~い脚に乗っかって登場し、その長い脚を駆使して、踊ります。 カナガという仮面。これは祖先の象徴、創造主をあらわしています。 そして、面白いのが、シリゲと呼ばれる仮面。 これは、祖先があの世で住んでいる背の高い建物を象徴して、仮面の上に約5メートルの棒状のモノをアタマの上につけています。 衣装は、赤、緑、黄色、土色などさまざまな色彩を使いながらつくられていますが、上半身は、さまざまなアクセサリーや飾り物があるとはいえ、半裸に近い状態です。顔は完全に仮面におおわれ、足ははだしです。 これらの7つの仮面をかぶった踊り手たちが、順番に出てきては舞台から去り、 踊りの後ろでは、5人のパーカッションをたたく男達がリズムを作り出します。 パーカッショニストは、3人ははだし、2人は、薄い木の皮か乾いた草で作ったようなぞうりでした。 この5つのパーカションが全部、違う形と音を出していて、 ステージ左から、大きなおわん状のものを逆さにふせたようなものが3つ、台の上にのせられていて、 これをたたくど、ドンドンと低い音がし、なぜか叩き方によって、カチカチというような金属音がします。どうしてあんなに大きい音が出るのかは不明です。はじめてみる楽器でした。 左から2つ目のパーカッションは、いわゆるアフリカのトーキング・ドラムスのように、脇に抱え、L字型のバチで叩きます。 しかし、ドゴン族のトーキング・ドラムのようなものは、きわめてシンプルでプリミティブであり、 今のアフリカのポップ・ミュージックが、ロック・ギターなど現代の楽器と一緒に、音量が大きく、音階の幅がひろいトーキング・ドラムスを使うのとは違います。 真ん中は、大きなジャンゴのようなもので、肩からぶらさげて、やはりL字型のバチのようなもので叩きます。 右から2番目のパーカッションは、中が空洞になった円筒上の木の上に乗っけて、両手でL字型のバチでバンバン叩きます。 一番右のパーカッションは、ひざにはさんで(台もありますが)バチではなく両手で叩きます。 そして、この一番右端のひとと、左端のひとが、歌をうたいます。 それは歌でもありますが、呪文のようでもあり、声という楽器のようでもあり、音楽全体に抑揚をつけているようでもあります。 ぼくは、前半は(そういうことが多いですが)、この葬送儀礼の意味をあまり深く考えたりせず、音のうねりと歌と、面白い(見方によっては奇妙な)仮面と衣装、そして踊りをぼーっと観る、というよりは聴いていました。 バックのパーカッションのひとが時々入れ替わりますが、ひとりリーダーらしきひとがパーカッションと歌をやり、最後のほうでは、お客さんに手拍子を求めていました。 手拍子といっても、きわめて簡単なものです。 というのも、実は、この5つのパーカッションは、誰ひとりとして同じリズムを叩いていません。 いわゆるポリリズムというものです。本当はもっと複雑なのですが、たとえて言えば、 ひとりが、タンタターン、タンタターン、とたたいているとすると、 べつにひとりが、タンタン、タンタン、タタンターン~~ さらに別のひとりがタタタ、タタタ、タタタ というように、別のリズムをたたき出しながら、大きなうねりが生まれ、聴いている人が、だんだん催眠術がかかったみたいに、気持ちよくそのなかに引き込まれていくものです。 そのポリリズムのかなめの拍だけを観客に手拍子させているので(でないと、お客さんは複雑すぎて手拍子が出来ない)、 手拍子の拍と拍の間は、かなり長い間隔になっています。 その拍と拍のあいだは、ポリリズムの音がうねって、お互いが一致しない、 逆に言えば、一致するポイントのみを手拍子させられている、ようでした。 でも、より正確に言うと、5人のうち3人ぐらいが一致するポイントで手拍子しているだけで、残りの2人は、まだ位相がずれているようでもありました。 そのような、陶酔感、高揚感、が、実際の葬送では、日没まで続くのですから、そのエネルギーというかカタルシスというかは、大変なものがあるのでしょう。 その仮面舞踏とポリリズムと歌は、祖先との交信、創造主とのコミュニケーションにまで高められて、特別な時間・空間となり、 現世を生きる村人達が、その存在理由を、祖先たちとの関係で確認する作業であるのかもしれません。 そんなことをぼ~と感じながらも、どんどん気持ちよくなっていくポリリズムのうねりのなかに身を投じているうちに、 最後に、すべての仮面が出てきて、一緒に踊ったあと舞台を順番に去って行きました。 おそらく、その踊りは、万物の創世から、ドゴン族の誕生、イスラム化から逃れて、川をわたり断崖に住むようになった神話や歴史などのストーリーになっていて、最後に、死者のことを語り、祖先のもとへ送りだしてあげる(帰してあげる?)物語なのでしょう。 しかし、彼らの歌っている歌の意味や、踊りの意味、仮面のもっと深い意味を知らないので、そこは感じるがままに想像するしかありません。 ドゴン族は、こうした儀礼を通じて、宇宙や祖先とつながり、自分達の「生」を確認する、すなわち民族の、村の、村人達のアイデンティティを確認し、それを保証する大切な儀式なのでしょう。 さいごに、舞台にひとりのこったリーダーらしき方は、じつは、マリ共和国を代表する歌手で、伝統音楽も歌えば、ポピュラー音楽も歌う人だそうです。 あとにひとは、すべてドゴン族のなかでも、ほとんど観光客や異邦人がおとずれたことのない伝統的な村のひとたちで、今回の仮面舞踏のために、特別に出てきたそうです。 昨年の「バリ島の巨大な竹筒のガムラン音楽」(トラックバックを参照してください)の舞台のように、演奏者や踊り手が完全にトランス状態になっていっちゃった、というようなことはありませんでしたが、 ちょっと、現代文明にどっぷりつかっている自分をふりかえって、ある部分はもっとプリミティブに生きてもいいんじゃないかな、と思いました。 あすも世田谷パブリックシアターで仮面舞踏があります。 興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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