テーマ:海外生活(7771)
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幸いにもわたしの病室はタコ部屋ではなく2人部屋でTVもついており(有料)、隣人は90歳ぐらいのお婆さんだった。
彼女はもう1週間、入院しているらしい。最初は静かな個室だったのに、わたしが入院してきた日に患者がどっと増え(汗)、このエレベーターの隣の騒音がうるさい2人部屋に移されたのがかなりご不満のようである。 。。。というのは、毎晩病室を訪れる彼女の4人の子供達(といっても2人がもう定年退職の身)が語ってくれた事だ。 彼女は時々ゲップをしたり、看護婦さんが注射をしにくるときに、何かぼやく以外はあまりにも静かで、わたしは隣にいながら、ある時気がついたら、息をしてないんじゃないかといつもハラハラしていた。きっと若い?わたしを隣にしたのも、見張りが狙いだったんじゃないだろうか? 当初、木曜日が予定だったわたしの手術日が金曜日に延期された朝。 あわただしく看護婦達が手術室にわたしを運ぶ準備をしている横で、老いた隣人のところも子供たちが勢ぞろいし、リハビリの為の療養所に連れていく準備をしていた。 わたしは勤めて明るく「お互い頑張りましょうね。」と言って看護婦達にベッドに寝たそのままの状態で手術室へと運ばれたのだった。 運ばれたのは1週間前と同じ階の別のナンバーがついた手術室だった。 それほど大きくない田舎町の病院は全ての科の手術室がワンフロアに集中しているらしい。 わたしを運んできた看護婦が出て行き、中から別の看護婦が出てきた。 「あらっ、また来たの?!」くしくも前回の手術に立ち会った看護婦さんである。「あんた、相当運が悪いのねえ、ハハハ。」 。。。。笑うな。涙 続いて出てきた麻酔医を見てわたしは息を呑んだ。 がっしりとでかい身長、短く刈ったひげ面、眼鏡の奥の穏やかな瞳。 おっとと付き合う前まで付き合っていた元彼そっくりだったのだ!(←ちなみに元彼は現おっととはかなりタイプの違う「知的派」だった。) わたしは身を硬くして麻酔医の説明を上の空で聞いていた。 。。。こ、これはちっともいい別れ方をしなかった元彼の呪いなんだろうか? もう何年も会っていないんですけど? もしかしてまだ引きずってるのか!?なんで、今更!!?? 顔が似ている人というのは喋り方も、声も似ている。 この出会いに多少ノスタルジーを感じ、手術の成否に大きな恐怖を感じながらも、彼の手による麻酔を拒否する事も出来ず、眠りに落ちていったのである。 気がつくと手術がすっかり済んで、わたしはまた病室に運ばれている最中であった。 ああ、どうやら命だけは取り留めた。。。(←麻酔のアレルギー死を心配していた。) 病室に運び込まれると、あのお婆さんはすでに退院しており、隣のベッドにはすでに別のお婆さんが寝ていてガッカリした。 看護婦「いいですか、これからあなたは昼食抜き、水も飲んじゃいけませんよ。」と立ち去る。 まだ麻酔も覚めきらないまま、ぼんやりと隣のベッドを見ると、金髪のコロコロと太った婆さんはすっかりくつろいでいてみかんをむしゃむしゃ食べていた。 婆さん「はじめまして、みかん食べる?」 わたしは朦朧と首を横に振る。見れば、婆さん、わたしが買った有料TVのヘッドホンを耳に当てTVを見ている。 。。。わたしの、ってわかってるんだろうか?まあ、今TVなんて観る気力がないからいいんだけどさ。 とにかく寒かった。身体が芯から冷え切っている上に、左足の上には念入りに氷嚢までが乗っかっている。右腕は露出され、2本もの点滴が腕に差し込まれていた。 喉はカラカラ、情けない思いでいると昼食時になって、おっとが様子を見に来た。 おっとを見て喜んだのは隣で退屈していた婆さんだ。 ぼんやりと死体のように横たわったわたしを挟んでおしゃべりに花を咲かせたあと、おっとは仕事に戻り、婆さんは再び「チョコレート、食べる?」とわたしに聞いてから、TVに視線を戻した。 わたしはうとうとと眠りに落ちた。 次に目が覚めたのは、薄暗い夕暮れ時。 例の麻酔医に静かに起こされた。 麻酔医「調子はどう?」 わたしは小さく「大丈夫です。」と答える。 麻酔医「そう、それならいいんだ。何かぼくに出来る事があるかな?」と穏やかに聞く。 わたしは即座に「い、いつになったら水が飲めるんでしょう?」とかすれた声で聞いた。それぐらい喉が渇いていた。 すると麻酔医はぐったりしたわたしの上半身を抱え起こして「ゆっくり飲んで。」とコップの水を口に含ませてくれたのだった。看護婦も、おっともしない行動に、思わず元彼の姿とだぶった。 彼の目を見て、ぽろっと涙がこぼれた。 今思えば、こんなことで涙が出るなんて我ながら恥ずかしかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.02 01:18:26
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