テーマ:海外生活(7771)
カテゴリ:カテゴリ未分類
この日、おっとはわたしの次回の診察の予約と、週末の食料の買出しに朝の早くからでかけた。
イタリアの公立病院は予約ひとつ取るのも、開院と同時に行かなければ、待合室で何時間も待たされることが当たり前なのだ。 わたしが左足を骨折してからというものの、毎晩の夕食の支度も、翌日の自分のお弁当とわたしの昼食作りも、家の掃除もごみ出しも、ベランダの鉢植えの水やりも、全部おっとがしているのである。 その上、1日おきにわたしがシャワーを浴びる時に介助しなければならないし、着替えも手伝わなければならない。 最近とうとう弁護士を雇って、家の問題に本格的に闘い始めたし、 わたしの事故の保険の申請をしなくちゃいけないし、 わたしの「我慢ならない国」のひとの雇用問題も抱えたし、 で、とうとう金曜日の夜、おっとは切れた。 家の中で咆えまくって、しかし小心者なので割れ物でないヌイグルミや、プラスチックのコップを選んで、ベッドに向かって投げつけた。 おっと「早くせめて自分の事ぐらい、自分で出来るようになってよ!!」 おっとの心境がわかるだけに、いつものごとく「何言ってるんだよっ!?」と言い返して大ケンカに発展する事はなかった。 わたしはだいぶ回復してきたし、こまごました事は出来るようになってはきているが、実際に今の状況では、わたしはまだまだおっとの助けがないと、出来ない事だらけだし、病院も、弁護士事務所にも、ちょっとした買い物にすら歩いて行けない。 まったくおっとは、ここまで家の全ての事を一人で担ってきて、今まで切れなかったのが不思議なぐらいだ。 しかし、上記のセリフは現在はどうにもならないことがわかっているのに、言われたのが辛かった。 悔しくなってうつむいた。 そこで土曜の朝、決意して、おっとの留守に骨折以来トライした事のなかった「家の掃除機かけ」にチャレンジすることにしたのだ。 退院後の今までのわたしの所業から比べれば、かなりの大作業である。 なぜならこの日は旧友ニーノがわたしの状態をどこかから聞いて「今夜お見舞いに行くよ。」と言ってきたのだ。 入院中のある日、おっとが毎日見舞いに来ていた時に、偶然診察に来ていた近所のおばさんと病院内で出会った。 これがきっかけに、仲のいいカルラはもちろん、あらゆる名前も覚えていないような近所のひとまでが親切にお見舞いに来てくれたのだが、友達といえばクールで「お見舞いに行きたいんだけど、遠いし。。。」と誰も来てくれなかった。涙 だからニーノが見舞い客の一号なので、わたしは張り切っていたのである。 おっとの留守の間に家をきれいにしたら、おっとの手間がはぶけるし、わたしのことをちょっとは見直すだろう。 松葉杖を1本にして壁を這いながら、掃除機にたどり着く。バレエをするような姿勢で左足を後ろに高く上げ、身をかがめてコンセントを差し込んでスイッチを入れた。 まずは居間。 これは楽勝だった。ソファに座って手の届く範囲に掃除機を当てればいい。我が家の1階はツルツルの石の床なので簡単に掃除機が進む。 次にダイニングへと移動したのだが、ここは難儀だった。テーブルはともかく、イスの一脚一脚をケンケンしながらよちよちとよけ、たくみに掃除機を松葉杖のようにしながらあてる。 そしてキッチンの絨毯に掃除機が吸い付いて離れなくなった時には両手が使えないのではがすのに、苦労をした。 それから、現在はベッドを2階から移動してベッドルームになっている旧コックさんの部屋、続いてお風呂場に滑らないように気をつけながら掃除機をあて。。。。。 全て右足だけのケンケンで行なったので、すっかり暑くなり、まるで真夏のように汗だくになった。 所要時間、労力、普段の3倍ほど。 すっかり終えて、ソファに両足を投げ出してきれいになった家の中を見渡した時には、まるで何かのトレーニングを終えたような充実感で満ち足りたのである。 スポーツドリンクをコップになみなみついで、グイッと飲み干した後、Saicuccioさんに電話をかけた。 というのは心優しい彼女は先日の「ヤギたちによるビスケットの災難」を語ると、気の毒がって再度小包で送ってくれた。それが前日届いたのだ。(←もしかして暗に催促してしまったのだろうか?) 今度のビスケットは邪魔が入ることなく、心行くまでほおばる事が出来たのである。そのお礼と近況のお知らせだ。 さっそく掃除機の快挙を語ると、Saicuccioさんは一通り笑った後、不吉な一言を発した。 Saicuccioさん「今、いくきとちゃん、運が強烈に悪いのにそれで右足も捻挫とかしたら、ど~するのよ?」 しまった。ただただ、より動く事に夢中になって、そうなってしまった事態を考えなかった。運が悪い時は、それが過ぎ去るまで静かに待ったほうがいい。。。。。 のだが、わたしはそれが出来ない性格なのである! 昼食時におっとが帰ってきた。 わたしはこれもまた、骨折以来はじめて、インスタントだが鍋にミネストローネも用意して待っていたので、家の中を見渡し、鍋をのぞいて「へえ、やるじゃないか!」とお株が上がり、得意となった。 2人で昼食を済ませ、おっとはまたすぐさま引越しの手伝いに出かけていった。 しかしここでやめときゃいいものの、一度目覚めてしまった筋肉はなかなか静まらず、わたしは休むことなく、汚れた皿を洗ったり、片手で出来る簡単なつまみを作ったりしているうちにまた、汗をかいてきて、今度は「一人でシャワーを浴びる事」を決意したのである! おっとが履かせてくれた左足の靴下を脱ぐのと、小さなパンツの穴をドンジョイにくぐらせるには四苦八苦したが、残りの衣類は簡単に脱げた。 お風呂場にある便座に座ってビニールのゴミ袋を左足に履かせるのも出来た。 後は、浴槽に入るだけである。 浴槽のふちに用心深く座り、右足でおそるおそるふちをまたいで浴槽に足をついた。あとは簡単。じりじりとお尻をずらしてふちに座ったままで左足をふちに乗っけてシャワーカーテンを閉めればいい。 完璧だった。 わたしは朝からの快挙の連続に満足して、シャワーを浴びた。 「これでおっとにあのセリフは二度と言わせないぞ!」と髪を洗いながら反撃の仕方を考えたのである。 だが、すぐに問題が起きたのだ。 左足はともかく、狭い浴槽の中では右足と座りこんでしまったお尻が洗えない!! ぴょんぴょん腰を浮かそうとするが、滑りそうになってやめた。 しかし「あ!」と思いついて左足をそろそろと浴槽の中におろし、滑らないように壁にしがみついて、右足だけで立って、お尻と足首までを洗うことに成功したのである!足先はしかたがない、これだけ後でおっとに洗ってもらおう。 また座りなおして泡をシャワーで流し、95パーセントは成功した自分の仕事に満足しながらバスタオルで身体を拭いた。 そして重大なことに気がついた。 浴槽に入るときは力の入る右足から入ったので、問題がなかったのだ。 しかし今度は左足から出なければならない。 不可能である! しかもその上シャワーカーテンがきっちり閉まっていなかった為、床中が水浸しになっていた。 更に松葉杖は手の届かないところに立ててあった。念入りに落ちて床に転がっている。 八方ふさがりとなった。 約1時間後、おっとが帰ってきた。 「いくきーと!どこに隠れてるの!?」と声がしたので、必死で風呂場の緊急用呼び鈴を鳴らした。 やっとおっとが水浸しの風呂場と、バスタオルを巻いて浴槽から動けない冷たくなったわたしを発見した。 おっと「何やってるんだよ、もう!!ぼくが居ない時に勝手な事するなよ!」 。。。ただわたしは自分で自分の事をしようとしたまでだ。 この後すぐニーノが来たので、この事件はこれ以上ひきずることなく、幕を閉じたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.02 01:29:17
コメント(0) | コメントを書く |
|