追憶のJTCC(アコード、エクシヴ、プリメーラ)
地球温暖化の影響だろうが、じき11月とゆーのにここ南関東では一向に「錦秋の候」とは至らず。とはいえ街はオレンジ一色、カボチャ一色の喧騒で、確実に「読書の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」である。スポーツといえばクルマ好きはなんつっても「モタスポの秋」である。一部のカテゴリを除いて早春に開幕したシーズンが幕を閉じる時節である。チャンピオン決定の時期である。世界のあちこちで最終決戦が目白押しである。なにもこんなに集中せんでもええやんか、なくらいである。先週末はF1アメリカGPにスーパーGTオートポリス、あげくにMotoGP日本ラウンド。そして今週末はF1メキシコにスーパーフォーミュラ、MotoGPオーストラリアそしてまったく話題に上っていないが鈴鹿でWTCR(SFと併催)が開催されておる。が、まぁ世界戦っつっても要はFF車だかんね、である。FF車嫌い、面白くないんだよねぇ。コーナーでおでこ鷲掴みにされてグイっと引っ張られるようなあの感じ、嫌だわぁ。四半世紀を超えるクルマ人生の中で一度もFF車に手を出したことはないし(FFベースの四駆は一回あるが)FF車のミニチュアは1000台を超えるコレクションのなかでもほんの一握り、多分十指にも余る。そんな数少ないミニチュアFF車の大集合。 大集合っつってもたったの3台(笑)なにせ母数が小さいんだから仕方がない。これでウチにあるFF車の50%は行ってんじゃねーか?くらいにFF車は少ないわけ。けど、嫌いだからといって、仮にも全日本選手権を掛けられたクルマを集めないわけにはいかんじゃろ。とゆーことで、1996年を激走したマシン達。 前選手権(JTC)が結局GT-Rのワンメイクとなって瓦解し、次の選手権はFF車で(別にFRでもよかったがハンデが大きかった)ってなった時、実際コロナとかシビックフェリオなんかが走ってるのを見た時、いっくら普段街中でよく見かけるクルマがズドドっ爆走してるのがメーカーにとって良いプロモーションになるから、とか言われても「???」だったよ。それでも年を重ねるごとに、コストダウンとか本来の目的を忘れてメーカーが勝つために本腰を入れ出して(当然開発コストは高騰、プライベーターの出る幕なし)レーサーシルエットっぽいクルマを投入するに至った頂点のシーズンが1996年。イグニッションモデル1/43 JACCSアコード "1996年インターTEC(Rd.16) DSQ"#14 服部尚貴 JTCC初期のコロナやシビックフェリオからすると、ずっとレースカーらしいアコード。紆余曲折あった、極論素性のいいクルマを出してきたホンダ潰しをトヨタ日産があからさまに行った1996年シーズンのチャンピオンマシン。(まあ、ホンダもレギュレーションのグレーゾーンを突っつきまくったから一方的な被害者でもないが)シーズン最終戦のこのレースでもトヨタ日産の横槍で失格処分になってるところが、ロクでもないシーズンを象徴してんよね。イグニッションモデル1/43 ゼント・DJ・トムス・エクシヴ "1996年菅生(Rd.4) 2位"#36 関谷正徳 ワイド&ローなこのクルマが、それまでの背の高いおとなしい感じの4ドアセダンがチョコマカ走るJTCCってイメージを覆した功労者かも知れん。けれど実際街中でそんなに見かけなかったよなぁエクシヴ。レースカーでカッコいい=4ドアセダンの居住性無視だかんね。そーゆー意味では「自分の乗ってるクルマがレースで大活躍して結果観客のすそ野が拡がる」ってJTCC本来のコンセプトからは完全に逸脱してんよ。ちなみにIGのHP見ても、このクルマ、どこ仕様なのか記されてないが、+10kgのウェイトハンデになってることから菅生の第2レース(Rd.4)であると判断。当時は2レース制の第1ヒートの上位3台に30、20、10kgのウェイトハンデが課されて第2ヒートを戦い、そのハンデは次戦には持ち越さないルール。#36号車は年間みても第1ヒートで3位に入ったレースは菅生だけだから。JACCSアコードも同じ理由で、インターTECの第2ヒート(Rd.16)仕様である。アコードが失格になったのはレースウィーク終了後で、レース当日は第1ヒート3位に入って+10kgのウェイトを積んで第2ヒートを走った、とゆーわけ。hpiミラージュ1/43 日産プリメーラ "1996年インターTEC"#24 アンソニー・レイド 当時は確かアンソニー・リードって言ってた気がするアンソニー・レイド。いずれにせよ日本に馴染み深いガイジンドライバー。全日本F3やF3000、JGTC等々キャリアの殆どを日本で習得した。この年はツーリングカーのみBTCCを主戦場にして(日産の戦略?)JTCC最終戦のみ旧型プリメーラ(P10車)でスポット参戦。なのに第1ヒート(Rd.13)で4位、第2ヒートを3位表彰台と大暴れ。そののちアコード2台が失格処分になって繰り上げ2位と繰り上げ優勝。当日は第1ヒート表彰台外なんでウェイトハンデはつかず、ミニチュアがどっちのヒートで走った車両を再現したのか結局決め手なし。左ドアには日産ファイナンスだか日産リースだかのロゴ(ボンネットと同じもの)が貼ってあんのに右になから第1ヒートで破損して第2ヒートはまっさらなドアを取り付けてとりあえずゼッケンだけ貼りましたってんなら第2ヒート確定なんだけど、どうもそこら辺はっきりしないんだわ。そもそもドア交換するくらいぶつかったなら4位完走もないだろうから可能性は低いか。誰が記憶にある人おらんかね? レースで勝利のためなら、実車側の居住性やらなんやら犠牲にしてもいいじゃん的なトヨタに対して、あくまで市販車優先でやってきてるのが日産。ま、トヨタの物量、要は多少売れ行き悪くったって姉妹車が回収してくれる的なタマ数の多さに比べて、確実に不人気車を作れない日産、とゆーことだね(トヨタもあえて不人気車作ってるわけじゃなかろうが・・・)アコードやエクシヴに比べると明らかに前面投影面積がデカい。そんな若干ハンデのあるクルマでもド突き合いのレースなら前へ出ちゃうのがガイジンの強み。そゆとこは2018年の現代でも相変わらずなんだよね。 ド突き合いレースってのはそーゆー面白さがあるんだろうが、エアロで武装してないマシンがやっぱダサいと思われたのか、短いレースが2回ってゆーレースフォーマットが合わなかったのか、世界的には流行っていくクラスⅡ(のちグループST)レースは日本では空振り。市販車はもともとがダサいんで思ったほど売れないわりには開発コストは高騰し、プライベーターは締め出され、独自の進化で海外レース車輌との交戦も出来なくなって、シリーズは先細り。最終的にはトヨタのワンメイクレースと化して幕を閉じた。細かい事はレーシングオン「追憶のJTCC」を読んでおくれよ、っつーことで。