万雑683_中臣氏・藤原氏の系譜で万葉集に歌がある人(藤原光明子2)
万雑683_中臣氏・藤原氏の系譜で万葉集に歌がある人(藤原光明子2)次も、藤原光明子(ふじわらこうみょうし)で、今日は残りの歌2首(4224,4240)です。光明皇后(=光明子)が芳野宮に幸されたときに作られた歌;4224_「朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我がやどの萩」※_「朝霧のたなびいている田んぼで鳴く雁を、引き留められるだろうか、我が家の萩は」と歌っています。天平勝宝三年(751年)2月、藤原太后(=光明子)が入唐大使の藤原朝臣清河(光明子の甥、不比等の子)にお下しになった歌;4240_「大船にま梶しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち」※_「大船に左右の楫をいっぱいに差して取り付け、この我が子を唐国へ送り出します。守って下さい、神たちよ」と歌っています。<記事>中臣氏;中臣東人(済)、中臣清麻呂(済)、中臣宅守(済)藤原氏;藤原鎌足(済)、藤原房前(済)、藤原宇合(済)、藤原麻呂(済)藤原光明子、藤原仲麻呂、藤原豊成、藤原永手、藤原八束、藤原清河藤原宿奈麻呂、藤原広嗣、藤原久須麻呂、藤原執弓、藤原郎女藤原夫人(円方女王)、藤原部等母麻呂、藤原武良自藤原広嗣<備考>_中臣氏・藤原氏系図(改_3)以上