障害の上に「性格」「個性」がある
障害児ではなく、定型発達の子を育てていても、
夫婦間の子育てやしつけの仕方に対する考え方の相違が生じ、
家庭内で言い争いが絶えない家庭があります。
また、母親は
「食事の前にお菓子を食べてはいけません」
「ゲームは一日1時間だけ」
と厳しくしているのに、
父親がお菓子を食事前に与えたり、
「好きなだけゲームしていいよ」
と言ったりすることで、
子どもがダブルバインド状態に陥り、
相手を見て態度を変えるようになり、
そのことがきっかけで、
夫婦間でいさかいが絶えなくなることもあります。
もし、わが子が発達障害だった場合、
子育てやしつけの仕方だけではなく、
子どもの障害を認めるか認めないかで、
定型発達児の子育て以上に、
さらに夫婦間に溝ができることがあるかもしれません。
例えば、妻側は子どもの障害を受け入れて療育手帳を取ったり、
療育を受けさせたりしたいのに、夫側が
「こんなに小さいうちから障害児のレッテルを貼る気か!
伸びるものも伸びなくなる!」
と拒否したり、
小学校の進学先を通常級にするか支援級にするかで争ったり……。
家庭内でそうした状況に陥っているとき、
「こういう子って天使だよね」
と言われたら、とても嫌な気持ちになります。
「障害のある子の存在が、家族の絆となる」
といったテーマが、時々テレビで取り上げられることがあります。
“美談”や“感動ポルノ”とやゆされることもあります。
しかし一方で、子どもの障害によって夫婦間に溝ができ、
離婚に至るケース、また、
育てにくい子として虐待に発展しているケースもあります。
「発達障害児が虐待を受けているケースは、定型発達児の4倍」
というデータもあるようです。
障害がある子を育てている親の中には、
たとえ励ますつもりでも
「こういう子ってピュアだよね」
「秘めた才能があるよね」
「天使だよね」
などと言わないでほしい、
と感じている親もいます。
そもそも障害は、
染色体異常や脳の機能障害といったことが原因です。
性格や個性は障害の上に、
育った家庭環境や幼稚園、保育園、学校環境、
友人関係などが複雑に影響してつくられていきます。
私の周りには、素直なダウン症児も、
自閉傾向が強いダウン症児も、いじわるなダウン症児もいます。
同じ障害があっても、
性格や個性はその子によってさまざまなのです。
「それでも、あなたがいてよかった」
同様に「秘めた才能があるから、そこを伸ばしてみたら」も、
よく言われます。
言葉をかけた人は
勇気づけようとして言っていると思うのですが、
この言葉で“療育の鬼”と化し、才能探しの旅に出たり、
“才能の温泉掘り”に走ってしまったりする親御さんもいます。 でも、そういうときの親の顔は
“眉間にシワ”の怖い顔になっていたり、
子どもが思い通りにならない残念さで
悲しそうな顔になっていたりします。 また、「才能を生かした職業に就いたら」と励まされ、
「今から職業のことも心配しなくてはならないのか!」と感じ、
そのプレッシャーに押しつぶされている親御さんもいます。 定型発達の人であっても、才能を生かして自立し、
職業に生かせている人はほんの一握りです。
「障害がある子は、何か秀でた才能を生かさなきゃいけない」
と思う必要はないのではないでしょうか。 「子どもを受け入れる」というのは、
たとえ秀でた才能がなくても、わが子の今の状態、
存在そのものを受け止めることだと私は思います。 障害がある子を育てる私の友人が、こう言っていました。 「ちゃんとトイレに行けるようになったとか、
偏食が減ったとか、目的地まで歩けるようになったとか、
靴をそろえたとか、脱いだものをちゃんと洗濯かごにいれたとか、
そんなことを喜んで、育てて、暮らしてきました。 絵も描けません。字も書けません。
すごい暗記力もありません。スポーツもできません。
テレビ番組にも、パラリンピックにも、
スペシャルオリンピックにも出られません。
ごく普通の障害児です。
それでも、あなたがいてよかった。
あなたでよかった」 「秘めた才能があるはず」「親を選んでやってきた天使」。
耳に心地よさそうに聞こえても、
相手にとってはつらい言葉になっていることもあります。
皆さんはどうお感じになりますか。
子育て本著者・講演家 立石美津子
大人ンサー