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カテゴリ:邦楽
------これは、当時の東芝レコードのディレクターだった新田和長が、まだアマチュアだったチューリップのデモテープを初めて聴いた時の印象を語ったものである。 71年に財津和夫、吉田彰、末広信幸、宗田真二の4人で結成されたチューリップが、地元のインディーズからリリースした初めてのシングルが「私の小さな人生」だった。 作詞・作曲は財津和夫。 姫野達也もまだいなかったチューリップの幻のデビュー曲である。 日本人的な湿り気を残しつつも洋楽を基盤にした美しいメロディー、ビートルズの影響丸出しなコーラス・ワークは、瑞々しい魅力に溢れており、当時の日本の音楽シーンでは異質なものだったに違いない。 また、チューリップの歌詞といったら「ベタなラヴソング」というイメージが強いが、この曲の中に流れる普遍的な哲学性や詩的完成度は、今も全く色褪せていない素晴らしいものだ。 財津和夫が二十三歳の時に発表されたこの曲は、多少荒削りながらも、彼のソングライターとしての才能をはっきりと示している。 「過信だけだったんでしょう。自分の音楽性こそがこれからの日本の音楽シーンをリードするんだ、と。 そのころの日本は「大国」と言われながら、音楽はかなり遅れてる、と思ってました。どうして日本で、なぜ洋楽のような素晴らしい音楽ができないのか? 演歌に負けてしまうのか? 不思議でね…それなら僕が作ってやろうと思ったんです」-----財津和夫 ビートルズが大好きな青年が、己の理想と情熱だけを頼りに歩き出した最初の記録であるこの曲は、チューリップの1stアルバム「魔法の黄色い靴」(写真)に収録された。 私が今日まで生きてきて 何がこの手に残ったろう 生まれて死ぬまで 私は何をする お金をもらって 何に使おう 歩いても歩いても いつも一人だった 人はおかしな男と言うけれど 私の小さな人生は これからどんなに変わるのか 花のひらく音も人の歌う声も 私には寂しく聴こえてくる できる事なら 死んでゆくその日まで 歌を歌って生きてゆきたい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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