テーマ:北京旅行記 天安門広場(3)
カテゴリ:制度・ルール
ほんの1か月ほど前(2019/04/30)に「Who is controlling the atmosphere ?」にプロローグで書いた。
2019年06月04日で天安門事件から30年になる。 それは平成がはじまってまだ間もない時だった。 中国共産党は全てを歴史から闇に葬ろうとしているが、 世界中に拡散したYouTube映像が、覆い隠すことなく真実を暴露する。 その日、天安門で民主化を叫び、その後も命を懸けて闘い続けている 王丹氏(1989年6月当時大学1年生)が2012年7月に初めて来日した時に 青山氏(現参議院議員)がインタビューする映像が出てきた。 中国を民主化したいと今も苦闘している王丹氏の生の声に耳を傾けてみよう。 関西テレビ「スーパーニュースアンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”より 2012/07/18放送(番組全体の書き起こしはこちらへ) 天安門事件元リーダー王丹氏にチベット・ウイグル・尖閣を問う 天安門事件の後、私自身も2、3回北京を訪れ、もちろん天安門にも足を運んだので、 この機会にその時の記憶を少し残しておきたい。 1990年代初頭に北京を訪れた時、北京は自転車が洪水のように流れる都市だった。 1992年に即位間もない平成天皇が訪中されたことが中国の国際社会への復帰を助けた。 当時米国企業などの多国籍企業が腰を引いていた時だったが、 日本企業は比較的中国進出に前向きに対応しようとしていた。 そのような背景から、中国の市場調査を行う必要があり何度か足を運んだわけである。 外国人が泊まるホテルは中国国内の宿泊宿とは別の施設だった。 宿泊代や食事代は何倍もして、外国人客レートが公然と設定されていた。 ホテルや企業のオフィスでテレビを見ているとNHKの日本語放送が、 突然ブラックアウトすることがあり、現地勤務の担当者は当たり前のように、 すべての情報は監視されているから気を付けるよう促された。 ホテルやオフィスの電話は盗聴されていることを前提で話す必要があったし、 外国要人には尾行がついていた(私自身が尾行されていた記憶はない)。 電気通信の利用状況や自由化の可能性について調べたが、 訪問したすべての現地企業は国有企業で、訪問した郵電部はもちろん国の機関だったが、 郵電部でインタビューする内容については事前に質問内容を提出するように求められ、 許可を受けてからの訪問だった。 インタビュー当日、追加の質問をしたら同行の現地勤務の同僚に戒められた記憶がある。 (日本でもう忘れてる人も多いが、日本でもNTTは民営化されるまで公社運営だったし、 NHKは今も公共放送、日本郵政は民営化されても未だに政府が株式を保有しているので、 中国の民主化が遅いと大きな顔はできない)。 高層ビルがそびえたち、自動車、スマホ、ドローンなど物があふれて経済的に発展した今も、 中国の監視社会は当時と変わっていないようだ。 昔話はこの辺にして、 王丹氏も出演している記録映画「亡命/長城外:Outside the Great Wall」を鑑賞しておこう。 この度は、王丹氏がかなり長期間来日していたようだ。 ・現代中国研究所《六四30周年シンポジウム》”私は後悔していない。中国人は自由と民主主義のためには犠牲もいとわないという勇気を世界に示せたことに満足している:王丹” ・中国点描《北京に「鶴の恩返し」はない》”海部俊樹さんに会う機会があれば、直接聞きたい。なぜあのとき、中国への経済制裁をやめたのか:王丹” きっと王丹氏は平成天皇に”なぜ訪中したのか、どうしても訪中が必要だったとしたら、 民を一番に考える日本オリジナルの民主制度を、中国の指導者にどうしてもっと説いてくれなかったのか”と聞きたいかもしれない。 そのうちにまとまった日本紀行が出来てくるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.06.06 09:33:34
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